『手のひらを太陽に』の歌が、大人になった今、涙が込み上げてくる理由
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皆さんは、この名曲を覚えていますか?
『僕らはみんな生きている~♪生きて~いるから歌うんだ♫』
『手のひらを太陽に透かして見れば~♬』
そう、知る人ぞ知る、
あのアンパンマンの作者こと、
『やなせ たかし』さんが作詞した名曲『手のひらを太陽に』です。
子どものころ、音楽の授業や合唱で歌った人も多いでしょう。
この歌『手のひらを太陽に』は、
日本の童謡の中でも特に印象深く、記憶に刻まれている名曲といわれています。
それ故に、
その歌詞の響きに何故か心が動かされた経験がある人もいるかもしれません。
それが、何故だか分かります?
その答えは、
この歌には『日本人の真髄』がたくさん詰まっているからなんです。
ひょっとすると、
『どういうこと?』『なんのこっちゃ?』と思われる人もいるかもしれません。
でも、
世界に名曲があれども、それは単なる売上だけのことも多くあるんです。
ホントの名曲とは、心に響き、自然と涙がこぼれるはずなんです。
皆さんは今、
世界的にコノ名曲『手のひらを太陽に』が注目されているのをご存知でしょうか?
それは、わたしたち日本人の単なる幼少期の思い出の歌ではないのです。
ただ単に、私たちが楽しく歌った唄だけではないんです。
その答えは、私たち日本人なら当たり前に知っているはずなんです。
今回の記事では、なぜ『手のひらを太陽に』は今も歌い継がれるのか?
そして、
そこに見られる日本人の真髄を紐解いていきます。
ぜひ、参考にしてみてください。
そして、本来あった大切な日本人の心を思い出してください。
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この記事で分かること
① やなせたかし作詞『手のひらを太陽に♫』が、今注目されている理由
② 『手にひらを太陽に♫』が、日本人の心に刺さるワケ
③ 日本の歌には、なぜ『虫』が友達として描かれるのか?
『手のひらを太陽に♬』 ― 日本人が歌に込めた自然観と生命観

『僕らはみんな生きている~♬』、
この歌い出しから始まるコノ歌は、
実は海外では見られない日本独特の歌であることを皆さんは御存知でしょうか?
今一度、この歌を口づさんで見てください。
『僕らはみんな生きている~♬』と。
そして最後まで。
覚えている限り、歌詞を歌ってみてください。
覚えてないことも、忘れている箇所もあるはずですが、とにかく最後まで思い出してください。
このフレーズで始まる童謡『手のひらを太陽に』は、
昭和の時代から令和に至るまで、日本中の子どもたちが歌い継いでいるある理由があるんです。
そう!
それは、歌詞には、
オケラやミミズ、アメンボといった、日常生活ではほとんど注目されない生き物たちが登場することなんです。
しかも歌詞の中では、それらの生き物たちを
『ミミズだって~、オケラ~だって、アメンボだって~♬』
そして、こう続くんです。
『みんな~みんな~生きているんだ~、友達なんだ~♫』と。
今でこそ、自宅に虫がいたらそれこそ大騒ぎだし、気持ち悪い人も多いはずですが、
でも、でもですよ!
なぜか、日本人は元来、
虫や生き物に対して親近感を覚える節があるんです。
みなさんも、今一度、思い出してみてください。
夏祭りの鈴虫の鳴き声や、秋風が吹くコオロギの鳴き声に何故か風情や季節を感じることを。
私たち日本人は
なぜか虫や生き物を昔から不思議と『友達』と呼ぶんです。
虫でも、動物でも。
まさに、ここに日本文化特有の感性が隠されているんです。
簡単にいえば、世界の多くの文化では、虫は害虫として扱われ、歌や文学の題材にされることはほとんどありません。
もちろん、日本でもそういうこともあります。
ところが日本では、
虫や小動物は不思議と童謡の中で堂々と登場し、友達として描かれることが多いんです。
童謡、秋の歌の代名詞『赤とんぼ』だって、そうです。
やっぱり、虫を主題に歌われているんです。
では、
なぜ日本人は、小さな命を友達として受け入れることができるのでしょうか?
不思議じゃないですか?
例えば、小さい頃から、童謡として幼稚園で『どんぐりころころ』でも、口ずさむんです。
生き物や自然と一体化している感性を。
『森のくまさん』でも、
ある日、
熊さんに出会ったけど『結局仲良く歌った』、なんて歌詞なんです。
では、その答えは何なのか?
実はその答えは、
日本文化に深く根付いた 自然観、生命観、宗教観、言語観 にあるんです。
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① 『手のひらを太陽に』の誕生と背景

『手のひらを太陽に』の作詞を手がけたのは、やなせたかし氏です。
ご存知の通り、
彼は『アンパンマン』の作者としても知られています。
そして、作曲はいずみたく氏。
実は、この歌は
1961年にNHKの『うたのえほん』で放送され、のちに多くの日本人に愛される名曲に成長していきます。
そもそも、この歌のきっかけは、やなせ氏の戦争体験がきっかけだといわれています。
やなせ氏いわく、
それこそ、
戦場で目の当たりにしたのは、命があまりにも簡単に奪われる現実だったといいます。
だからこそ、この経験は、後年の彼の作品世界に深く刻まれていくのです
『アンパンマン』の主人公が弱者のために自己犠牲をいとわないのも、同じ思想の延長線上にあります。
まさに、
名曲『手のひらを太陽に』もまた、
『命はすべて平等で尊い』 という思想を、子どもたちに伝えるために生まれた歌だったのです。
そこには、
人間だろうと、動物だろうと、虫だろうと、『同じ生命だ』ということを私たちに語りかけているのです。
② 歌詞に登場する小さな命

この歌には、生き物が登場します。
『ミミズ』は、
一見気味悪い風貌かもしれませんが、土を耕し、大地を豊かにする大切な存在。
私たち人目にはつかないですが、地球にはとても不可欠な存在です。
そして、
『オケラ』は、地中で暮らす小さな生き物のこと。
ほとんど人に注目されないですが、命をつなぐ重要な存在です。
また、
『アメンボ』は、水面に浮かぶ繊細な生き物です。
儚げな存在ですが、水面に現れる生き物して存在感を放つ虫です。
こうした生き物を名曲『手にひらを太陽に』では『友達』と呼ぶのです。
そして、
そのリズムと歌詞の中から、
子どもたちは『命あるものすべては仲間であり、尊い』という価値観を自然に学ぶのです。
それが、日本文化独自の『命の平等さ』、です。
まさに、命には、上も下もないのです。
『手のひらを太陽に』は、
その象徴的な歌であるからこそ、子どもたちは無意識のうちに倫理や感受性を育んできたのです。
そして、
今やその感覚を忘れてしまった成人や大人の日本人の心に深く突き刺さるのです。
なぜなら、
その感覚が本来の日本人にはあったはずだからです。
そう、
いつの間にか失った日本人の感覚が今、呼び覚まされようとしているのです。
③ 日本の歌にある生命感とは、何なのか?

日本の童謡に宿る『生命観』、それは何なのか?
その答えは、
日本の童謡には、自然と人間のあいだに境界を設けない特徴があるということです。
たとえば、
『あめんぼの歌』では、水辺の小さな虫を愛情を込めて歌い上げる。
『どんぐりころころ』では、木の実が池に落ちて魚と遊ぶという発想。
『赤とんぼ』では、夕暮れの自然風景が人間の郷愁と重なる。
不思議と、
日本の歌には『人間も自然の一部である』という思想が流れていて、虫や草木にまで『友だち』や『触れ合うもの』を感じるとる心が見て取れるんです。
しかも、凄いのがそれを小さい頃から口ずさんでいることです。
皆さんも、きっと経験があるはずです。
保育園や幼稚園や、小学校でこういう歌を歌ったことがあることを。
子どもに自然や生きものを教える歌は、単に遊びではなく、生命の循環や共生を自然に理解させる教育的役割も担っています。
まさに、
歌を通して『他者の命を思いやる感覚』を育てること、それこそ現代の道徳教育や環境教育と通底するものがあるんです。
『手のひらを太陽に』が名曲といわれるのは、ソコなんです。
名曲『手のひらを太陽に』が大人の心を打つ理由

私たちは子どものころ、『手のひらを太陽に』をよく口ずさんでいたはずです。
例えば、幼稚園、保育園、そうやって生き物の大切さを称えていたんです。
意識的にも、無意識的にも。
でも、
誰もが知っている歌ですが、大人になってしまった今、久しぶりに聴くと、なぜか胸が熱くなり、涙があふれることがあります。
それは、
『懐かしい~♫』とか、単純なものではないんです。
この歌が大人の心を揺さぶるワケは、
言葉の響き、音のリズム、そして日本文化に深く根付いた生命観にあるんです。
感性といってもいいかもしれません。
だって、もともと備わっているんだから。
『生きているから~ 歌うんだ♫』
なんて、このフレーズを思い出してみてください。
子ども時代には無邪気に歌っただけかもしれませんが、今聴くと、言葉の持つリズムとその歌詞に何故か『ドスン』と響くものがあるはずです。
もちろん、
『声に出すことで命を感じる』こともあるはずです。
それは理屈ではなく、身体と心で感じ学ぶことかもしれませんが、
大人になった私たちがこの歌を聴くと、無意識のうちに子ども時代の感受性が呼び覚まされ、涙として表れるのです。
きっと何か忘れかけたものを、思い出してくれるからかもしれません。
もう一つの名曲『大地讃頌』と共鳴する日本人の涙

『手のひらを太陽に』に感動するなら、
もう一つの日本の名曲『大地讃頌』も、多くの日本人の心を打つはずです。
そう、
言わずもがな、合唱コンクールの定番ソング『大地讃頌』です。
自分の声を重ねながら歌った経験がある人なら、なぜか涙がこみ上げたことを覚えているはずです。
いい歌だから、涙するのでしょうか?
それだって、同じ理由です。
『大地を讃える』、そして『生きとし生けるものすべてを抱きしめる』感性が、私たちを震わせるのです。
私たちは、もはやその感性さえ忘れてしまったのです。
だから、泣くのです。
だから、聞くだけで『涙する』のです。
何かわからないけど、この歌が心を震わせるのは、日本人が本来持っていたものを呼び覚ませるからです。
それは
『自然との共存』の感性です。
『手のひらを太陽に』と『大地讃頌』には共通点があります。
その答えは、
目に見えない生命の尊さを、歌詞の響きによって体感させる点です。
虫や小動物、風や太陽、大地の存在。
そんなすべてが、五感ではなく『心の耳』に届くのです。
私たちは、もはや大切な日本人の感覚を無くしつつあるのかもしれません。
だから、この歌たちは皆さんの心に響き渡るのです。
日本人と虫 ― 世界に類を見ない感性

意外かもしれませんが、実は、西洋では虫は『雑音』と捉えられることが多いんです。
バッタでも、コオロギでも、そうです。
外国のアニメを見れば、
そこに登場する虫の描写は、それこそ、みんな『ブ~ンブ~ン』て感じに描かれています。
例えば、ディズニー映画でもそうです。
虫、それこそクマのプーさんで登場する蜂は、『ブ~ン』とつきまとう厄介者として描かれています。
つまり、
世界の多くの文化では、虫の声は単なる『騒音』とみなされるんです。
だって、
ヨーロッパでは、夜にコオロギや鈴虫の声を楽しむ文化はほとんどなく、虫は排除される対象だからです。
言語学的な研究でも、
日本語を話す人は、虫の声を『自然の一部と認識して意味のある音』として脳が処理するのに対し、英語を話す人は『環境音』として処理する傾向があるといわれています。
環境音とは、ノイズです。
雑音のことです。
いずれにしても、
母音中心でリズム感が豊かな日本語は、虫の鳴き声の微細な高低やリズムを自然に捉えやすく、虫の声を音楽として認識することができるという特性を持っているのです。
まさしく、
『手のひらを太陽に』は、生きとし生けるものを称え、聞く人を魅力するのは納得できるはずです。
だって、
私たち日本人にとって、虫の音色は『心地イイ音』だからです。
だからこそ、
『手のひらを太陽に』は
幼少期の感性から離れすぎた現代人の日本人ほど、骨身にしみるソングなのかもしれません。
~何故、日本人は虫の声を聞けるのか?この問いの答えが、ココにある!~
命に上下はない
『手のひらを太陽に』や『大地讃頌』は、命を尊び、歌で表現していることが特徴です。
私たち日本人は、そうやって育ち、子どもたちは歌を通して、自然に学ぶんです。
命に上下はない、と。
自然の一部として自分も生きている、と。
そして、小さな命に注意を払い、感謝する心を持つことの大切さ。
それを子どもが歌うことで
何かを失いかけた成人の日本人たちに問いかけているのです。
現代社会との対比

現代の日本は高度に都市化が進み、便利で快適な生活環境が整っています。
でも、
その一方で、自然との直接的な接触は明らかに減少しました。
子どもたちは遊び場として公園や校庭には触れるものの、森や川、虫の生態系に触れる機会はほとんどない状態です。
スマートフォンやゲーム、SNSが子どもたちの生活に浸透した現代では、自然に耳を傾ける時間がますます減っています。
夜に鈴虫の声やコオロギの音を聞くことは有りもしないし、虫の存在自体を『不快』と感じる世代も増えています。
もはや、何かが変わってしまったのです。
『手のひらを太陽に』が伝えるもの

世界的に見ても、
日本の文化は『小さな命を尊ぶ感性』、『自然との一体感』、『音や響きへの霊性』、そういった感性を幼い頃から教育や文化に組み込む点で非常に独特です。
もちろん、皆さんすべての心に響き渡るものでは今はないかもしれません。
でも、
そもそも『手のひらを太陽に』ができた経緯、思いを知ればそこにあるリズムと歌詞に、人は同調するはずです。
命に上も下もないし、大きい小さいも本来ないのです。
『小さな命への敬意』、忘れていませんか?
『自然との共生感覚』、失っていませんか?
これらを次世代に伝える、日本文化を大切にしてください。
現代社会では、この感性が失われつつあります。
もはや、すべてが自分の敵であり、争う相手になるつつあります。
日本でさえも。
だからこそ、
私たちは再び手のひらを太陽にかざし、自然と命の尊さを感じ、歌い継ぐことが重要なのです。
今回も最後までお読みいただいて、誠にありがとうございました。
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