鯉鯉数匹が優雅に泳ぐ姿

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皆さんは、気づいていますか?

お正月の『しめ縄』や、七夕の『短冊』、食卓での『いただきます』

昔は、

当たり前だった日本の風習や作法が、

今や『やる人が珍しい』時代になっていることを。

正座の仕方を知らない子どもたち。

柏手(かしわで)の意味を知らない大人たち。

そして、

日本の年中行事を『イベント』としか思っていない世代。

令和の今、

日本の大切な文化が失われつつあるのです。

もともと日本には、

長い歴史の中で育まれてきた、豊かな伝統文化があったんです。

そこには、

『家族の絆』を育て、『心の在り方』を教え、『自然と共に生きる』美しい知恵があったんです。

でも今、それが静かに、しかも確実に消えつつあるのです。

この記事では、

今まさに失われつつある日本の文化や風習を取り上げ、

その背景と、私たちができることを一緒に考えてみたいと思います。

未来の日本人に、『文化の記憶』をきちんと手渡すために。

この記事で分かること
✅ 『あの頃の日本』はなぜ今、姿を消そうとしているのか?
✅ 昔は当たり前だった『日本のあの習慣』はどうなったのか?
✅ 今すぐできる、失われつつある文化を守るための小さなアクション
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目次

いつの間にか消えていた、日本の『当たり前』

神社の鳥居をくぐる着物姿の女性の後ろ姿

日本の美意識は、

長い歴史の中で培われ、

独特の感性と価値観に基づき、多くの人にとって生活の一部、そして心の安らぎとなってきました。

それは、

四季の移ろいを愛でる心であり、

人を思いやる優しさであり、人と自然とが調和する大切な日本の感性だったのです。

でも、

近代化や西洋化が進むにつれて、今やこうした美意識が失われつつあるのです。

日本にしかない文化35選をチェック

日常から失われつつある『侘び寂び』

京都五重塔の夜景

『侘び・寂び』(わび、さび)は、

日本の美意識の根幹で、

『侘び』は質素で控えめな美、『寂び』は、時の経過による趣きや静けさを指しています。

もともと、

『侘び』は、『寂しい』や『貧しい』という意味を持つ言葉といわれています。

これが次第に『物質的な欠乏から、心の豊かさ』へと変わっていったのです。

そして『寂び』は、

物が時と共に朽ちていく美しさや、

時間の経過の中で生じる自然の変化に対する感受性を意味しているといいます。

侘び寂びの概念は、

平安時代の文学や美術に現れ、本格的に形成されたのは鎌倉時代から室町時代のことです。

その中でも特に、茶道の発展とともに侘び寂びは、重要な価値観として浸透していったのです。

まさに茶道を通じて、

簡素さや自然との調和、美しさが強調され、侘び寂びの哲学が広まっていったんです。

侘び寂びの考え方は、

例えば松尾芭蕉の俳句や、

禅僧たちの詩においては、自然や人生の儚さを美しく表現しているのは、その影響からです。

また日本家屋に関しても、

『侘び寂び』が見られ、

自然との共生を基調として自然の美を感じながら設計されているのが日本の特徴なんです。

日本家屋には、木材が多用されていて、時間とともに木の色合いや質感が変わるんです。

それこそ、

新しい時に感じられる『清々しさ』とか、年数を重ねた木の落ち着きや『温かみ』まで、

素材の自然な変化が生活空間に『侘び寂び』の美をもたらすんです。

畳や柱、障子などは、傷や汚れがまさに『味』として生活の一部に溶け込んでいくんです。

苔むした岩や、年季の入った柱に貫禄を感じ魅了されるのは、そんな理由からなんです。

でも現代社会では、

新しいものや便利さが優先され、特に都心部では

日本古来の建築も次々に改修され、古いものの『味』を楽しむという価値観が失われつつあります。

都市化の影響は、人と自然とのつながりを薄れさせます。

日本古来の

『自然との共存』のような環境はほとんどなくなり、

今まであった自然の美しさや変化を身近に感じることも難しくなっています。

まさに、『侘び寂びの感覚』が育まれにくい環境になっているのです。

現代は、消費主義が支配する時代です。

多くの人が、

新しい物や高価な物を手に入れることに重きを置いており、

物の価値が金銭的な面から判断されることが一般的になってきています。

このような価値観では、

『侘び寂び』なんかより、モノの多さや高価なもので生きがいを感じることになってしまいます。

そんな理由から

『侘び寂び』は、もはや

都市部を離れ、自然豊かな山間部に出向かないと見れない『趣』になりつつあるんです。

今や、かつて公園にあったような立派な木々は切り倒され、マンションになりつつあります。

どんどん山が開拓され、戸建て住宅になっているのです。

日本ならではの『侘び寂び』の風景はもはや、変わりつつあるのです。

絶妙な陰影

日本家屋の軒先風景

古い日本家屋って、なんとも言えない独特の『明るさと暗さ』ってありますよね?

実は、この日本家屋の独特の光のバランスには、秘密があるんです。

それは、日本の伝統家屋の『軒の深さ』です。

深く伸びた軒は、

強い日差しをやわらげ、室内には柔らかな反射光のみを招き入れます。

その結果、

光と影が溶け合うような、どこか静かで落ち着いた明るさに包まれるんです。

夏の太陽を遮り、冬の低い陽光だけを取り込む――。

まさに、四季を知り尽くした日本人ならではの生活の知恵が日本家屋にはあったんです。

一方、西洋の建築物では

白い壁や石材が好まれ、光を反射して明るい空間を作り出すことが多く見られます。

でも日本家屋では、

木材や和紙といった『光を吸収する素材』が多く用いられ、陰影がつきやすい特徴があるんです。

和紙の障子は、

直射光を柔らかく拡散し、影の濃淡を生むため、室内の光はどこか温かみのある独特の明るさになるわけです。

伝統的な和の空間に入ると、

和紙の障子や漆器の光沢が間接的な光を受けて、その美しさが発揮されるのは、そういった理由からなんです。


日本の家屋には、
そういった光のデザインがふんだんに盛り込まれているんです。

でも現代の都市生活では

蛍光灯やLEDといった強い人工照明が主流となり、影の美しさやその奥行きを感じる設計が減少しています。

 

とかく明るい部屋の照明が好まれるため、

空間の一部にあえて暗さを残し、その中で微かな光を楽しむ――

そんな美意識は、現代の生活スタイルの中では静かに失われつつあるのです。

『借景』の美意識

池のある豪華日本庭園に橋がかかっている風景

日本の家屋では、かつては庭があることが当たり前でした。

そして、その庭の外に広がる景色を取り入れる――

それが『借景(しゃっけい)』と呼ばれる日本独自の美意識だったんです。

庭と自然が一体となり、四季のうつろいを感じながら暮らす。

そこには、日常の中に美を見出す日本人ならではの感性があったんです。

庭には、遠くの山や川を見立てて

石や木々が植えられ、その向こうの風景までもが一幅の絵のように取り込まれていたのです。

それは、

何も日本庭園のような立派な庭でなくても、どの家庭にも庭があり、自然との共生があったんです。

自宅の軒先に目をやれば、

わざわざ遠出をしなくても『山林の自然美』や『季節の移ろい』を感じることができた――

そんな仕組みが、日本の家々にはあったのです。

それこそが、日本人の『美の感性』でした。

だからこそ、庭には柿や栗、みかん、枇杷の木を植えたのです。

見るも良し、味わうも良し。

一本の木の中に、暮らしと自然の豊かさが共にあったのです。

しかし現代では、

都市化の進展や建物の高層化により、自然の景観を生活に取り入れることが難しくなっています。

土地の広さの問題もありますが、

そもそも周囲の景観がビルばかりに囲まれ、空や山、川や海なんて見れないんです。

いまや、庭づくりそのものが姿を消しつつあります。

それはつまり――

日本人が長い時間をかけて育んできた美意識そのものが、今静かにその姿を消しつつあるのです。

季節ごとの『しつらえ』

紅葉を背景に飾られた一輪の風鈴

日本人はもともと、四季の移ろいを愛で、

季節ごとに花や装飾を変える文化を大切にしていました。

例えば、自宅の玄関には、

春には桜や桃の花を飾り、夏には軒先に涼しさを感じさせる風鈴や簾を取り入れる――

そういった

季節感を感じるものを取り入れることで、

日々の暮らしの中に、自然のリズム『四季』をしっかり感じられるようにしていたんです。

皆さんも、旅館の風景を思い出してみてください。

きっと、そこには軒先に飾られた『季節のしつらえ』があり、

もみじを飾ったり、梅をあしらったり、彩りの景色が必ずあるはずなんです。

日本ならではの季節の息づかいが、そこにはあるわけです。

しかし現在では、

エアコンや暖房器具に普及により、年中ほぼ一定の気温を保たれるようになりました。

それとともに、

各家庭の軒先にあったはずの『季節のしつられ』も少しずつ姿を消したのです。

なぜなら、

夏の風物詩であった『風鈴』さえも、

今ではその音色が近所迷惑になったり、トラブルのもとになりかねないからです。

風情ある音色が、

他人からしたら、ただの騒音にしか聞こえない。

そんな時代になってきているんです。

便利さや快適さを追求する現代の暮らしの中で、

日本古来の四季を取り入れた『しつらえ』の文化は、今確実に失われつつあるのです。

着物や和服の美意識

日本傘を指しながら着物美女が後ろを振り向く光景

日本の着物、浴衣など、

和服の布地や柄、色彩の組み合わせには、日本人の繊細な美意識が多く詰まっています。

たとえば、

浴衣には暑さを凌ぎ、『涼』を感じるデザインが多用されているのをご存知でしょうか?

水を連想させる水玉模様、水風船、金魚など、

流水文様で、暑い夏に少しでも『涼』を感じられるデザインが多いんです。

着物に関しては松竹梅が描かれ、

松は冬でも緑が鮮やかで長寿を、

竹は成長を、梅は寒さに耐える力強さを象徴し、吉祥文様として多く使われているんです。

日本の美意識は

いつも自然と共生する特徴が随所に見られ、

季節ごとに移ろいを感じられるデザイン模様が特に多いんです。

一方、洋服が主流となった現代では、

和服を日常で着る機会も少なくなり、着物がもつ自然の美や感性が日常生活から失われつつあります。

成人式や結婚式、初詣など

お祝い事に限定され、なかなか和装をする機会は減少してしまっているんです。

着物が表現する『日本らしい美』という感覚も、今やかなり希薄になってきています。

着る衣服で、季節感を表す日本の繊細な美意識は、だんだんと無くなってきているのです。

和紙の風合いと温かさ

日本の障子が半分開いた状態の風景

和紙は、

日本の美意識を象徴する工芸品の一つで、

手作りの温かみや自然素材ならではの風合いが感じられるものです。

たとえば、

和紙で作られた障子は光を柔らかく通し、部屋全体を暖かい雰囲気で包み込んでくれるんです。

しかも和紙は、しなやかで、とても丈夫。

それ故に、

障子や襖で多く使われたり、贈呈品の包装にも多く使われているのです。

他にも、書道、折り紙などに古くから日本では使用されています。

かつては、

日本の住居で見られた障子や襖も、年々日本では見かけなくなってきました。

夏にはお中元、冬にはお歳暮、

そんなときに活躍した包装紙としての和紙の活躍の場は、ほとんど無くなってきているのです。

その理由は、

プラスチックや人工的な素材の普及により、

和紙を使う場が少なくなり、和紙の美しさを日常で感じる機会が減少しているからです。

和紙の自然な色合いや手触りといった質感の美意識は、次第に失われつつあるのです。

ミニマム空間の『究極の美』

巨大な赤松盆栽がうねっている写真

盆栽は、

『自然の壮大さをいかにダウンサイズ化し、小さな鉢の中で表現するか』

そういった

『小さな中に広がる宇宙』を愛でる日本人の美意識を顕著に反映しています。

松、もみじ、桜など、

さまざまな種類の木が使われ、幹が曲がりくねったり、斜めに伸びたり、自然の雄大な景色を集約した大作なんです。

もともと、

中国から2世紀ごろに日本に伝えられたとされており、

明治時代には、特にヨーロッパやアメリカで日本文化の象徴として注目を集めたんです。

20世紀には世界中で『BONSAI』として愛され、国際的な愛好家も増加しました。

近年では、

伝統的なスタイルだけでなく、モダンなアートとしても取り入れられ、現代アートの一部としても認識されています。

しかし、

盆栽は手間と時間がかかるため、特に若い世代には敬遠されがちでもあります。

盆栽に込められたミニマルで奥深い美の価値も伝わりにくく、愛好者としては一定の年齢層に限られているんです。

静寂の美

日本庭園にある枯山水の侘び寂び風景

枯山水は、

砂や石だけで山や水の流れを表現する庭園様式で、侘び寂びの美学を極限まで追求したものです。

特に有名なものは、京都の龍安寺の『枯山水』です。

枯山水は

寺院でよく見られるものですが、手入れに多くの労力と技術が必要だとも言われています。

そもそも、

枯山水を美しく維持するには、庭師や専門家の定期的な手入れが欠かせません。

石の配置や砂の模様などは、

長年の経験や技術が求められ、熟練の庭師が管理を担っていますが、庭師の数が減少しているため、庭園の維持が難しい現状があるのです。

維持には費用もかかるため、小規模の寺院には財政的な負担が厳しいことがあるようです。

食文化における美意識

小鉢に彩りよく飾られた日本食たち

日本料理は、

美しい盛り付けや季節の彩りが重視され、『目でも楽しむ』こともできるのが醍醐味です。

例えば、

秋には紅葉した葉を添えたり、春には桜の花を飾ることで、料理に季節感を反映させているんです。

そんな和食が大好きだったり、

日本食が一番という人は多いと思いますが、日本食の弱点はズバリ時間がかかる点です。

日本料理は仕込みに手間と時間がかかると言います。

素材を活かし、出汁を取ったり、下ごしらえに時間と労力がかかるんです。

反面、

現代ではファストフードやコンビニ弁当が普及する中で、こうした『美を食卓に添える』感覚が失われつつあります。

なぜなら、

『早くて、安くて、旨い!』そんな三拍子が特に若い世代では多く見られるからです。

忙しい現在人には、日常で和食、日本食を食する機会も減ってきているのかもしれません。

日本語の使い方

見頃満載な赤く染まったもみじ

時代とともに日本語の使われ方が変わり、意味も変わって来ることがあります。

特に現代では

言葉を簡略化する傾向が強いため、日本語の使い方もかなり変化してきているようです。

元来、

日本語にはたとえば、

『しっとり』『ほんのり』『うっすら』など、感覚や感情を細かく表現するための語彙がとても豊富です。

こうした言葉が情景や感情の微妙な違いを表し、情緒豊かなことが特徴なんです。

その他にも、

風や水の音とか、人の動きなどを表す擬音語や擬態語が多くあり、自然や物の様子を音として表現する文化があります。

『サッと』とか『ヒュッと』とか、そんな言葉で情景を表現できるんです。

でも、

現代では『ヤバい』だけで、全てを表現してしまい、語彙が少ないことも挙げられます。

バリエーションが少ない、と表現すればいいのか。

とにかく『ヤバい』『スゴイ』

『美味しい』でも、『キレイ』でも、何でも意味を含有できる時代なんです。

日本語のもつ『美』は、今間違いなく変化してきているのです。

失われつつある日本の食文化

御椀に日本食が盛られた和食配膳風景

日本の食文化は、

四季の移ろいを反映した旬の食材や、発酵食品、地方ごとの郷土料理など、豊かな特色を持っています。

しかし、グローバル化や都市化、生活スタイルの変化に伴い、こうした日本独特の食文化は少しずつ姿を消しつつあります。

ここでは、日本の失われつつある食文化の具体例を挙げて、詳しく解説していきます。

食材の『旬』が変わってきている

旬な焼きサンマとかぼすが乗ったお皿

日本の食文化は、季節の食材を楽しむことが特徴です。

まさに、

『旬』の食材を活かし、堪能することこそ、古くから根差している食文化なんです。

春には山菜、夏には鮎やスイカ、秋にはサンマや栗、

冬にはぶりや白菜といったように、

四季折々の旬の食材を楽しむことが、日本の食文化の特徴なんです。

旬のものは栄養価も高く、味も格別ですが、

現代では、

スーパーで一年中どの食材も手に入るため、『旬』の意味も大きく変わってきています。

スイカは夏だけのようですが、今や冬でも手に入る果物ですし、

サンマも秋だけかといえば、冷凍や加工食品が一年中手に入るため、『旬』の感覚は年々変わってきているんです。

発酵食品の手作り文化

味噌とごまがおさらとスプーンに盛られた写真

日本の食文化には、

味噌、醤油、酢、納豆、漬物など多くの発酵食品が存在し、日本人の健康と長寿に貢献してきました。

かつては各家庭で味噌を仕込み、漬物を漬けることが一般的でしたが、

現代では

市販の発酵食品が主流となり、家庭での手作り文化はほとんど見られなくなりました。

特に、味噌や醤油の発酵には長い時間と技術が必要で、

その技術を次世代に伝える機会が減少し、手作りする文化も薄れてきているんです。

それこそ、各家庭ならではの味付けが存在し、

祖母から娘へ、そして母から子へと、代々各家庭の味覚は引き継がれ、伝授されていましたが、

核家族や発行食品の手間の問題もあり、今は自宅で作ることはなくなりつつあります。

発酵食品を作る過程では、

地域の気候や家庭ごとの工夫が味に反映され、同じ味噌でも家庭によって異なる風味がありました。

そういった観点では

家庭ごとの味わいは失われ、食卓の個性や温かみは減少しているんです。

『おふくろの味』なんてかつて象徴された味噌汁も、

今や自宅では発酵されたものではないので、スーパーで買ってきた既製品の味に食卓がなりつつあるのかもしれません。

祝い膳やおせち料理

エビや昆布、かまぼこ、れんこんが乗った豪華なおせち料理

日本には、年末年始や節句、祝事のたびに供される行事食が数多くあります。

たとえば、

お正月の『おせち料理』は、家族の健康や豊作を願って作られますが、

今や既製品や冷凍のものが主流となり、自宅で手作りする家庭が減少しています。

現在では

『おせち料理』をお正月に食べるより、自分たちが食べたい食材を食することが多いくらいです。

それこそ、

デリバリーでピザを頼んだり、食の簡略化が起きているんです。

行事食を作ることは、

親から子へ食文化を伝える大切な機会でしたが、そういった文化は消えつつあるのです。

本来は、

行事食を手作りすることで季節の節目に家族が集まり、『食を通して絆を深める文化』がありましたが、家族の形態も時代とともに変化し、食文化は変わりつつあるんです。

こうした大切な伝統が今、薄れているんです。

和菓子文化

お皿に盛られたさくらもちとお茶

和菓子は、

日本の美意識を反映し、季節の変化や自然の美しさを表現するために、とてもよく工夫されています。

桜の時期には桜餅、

秋には栗や紅葉を模した菓子が作られ、日本人の感性が彩り良く仕上げられているんです。

しかし最近では

『あんこが苦手』、『和菓子が好きではない』など、日本の和菓子に苦手意識を持つ方も多くあります。

そんな中、

洋菓子の普及や洋風のスイーツ文化が強まり、和菓子を季節ごとに楽しむ風習も減ってきているんです。

コンビニエンスストアでも、

和菓子より洋菓子のコーナーの方が多く、売上に差が顕著に現れていることも多く見られるようです。

和菓子の製造には高い技術が求められるため、職人の減少や後継者不足も問題となっているようです。

出汁の文化とインスタント食品

市場で売られている魚とエビたちの写真

日本料理の基本である『出汁』は、昆布やかつお節から丁寧に取られ、料理に深い味わいを加えます。

和食の基本は

この出汁をベースに味付けされますが、

各家庭の日常でイチから出汁を取ることは、ほとんど稀になりつつあります。

かつては

鰹節を自宅で削る風景もよく見かけられましたが、今や出汁の素を使うことが日常になりつつあるからです。

特に日本は、インスタント食の文化がとても盛んなため、

インスタント食品や化学調味料の普及により、家庭で一から出汁を取る機会が減っているんです。

便利さ故に、手間暇かけて自宅で出汁を取ることは、ほとんど見かけなくなったのです。

出汁には、

自然の旨味や風味が詰まっていて料理の奥深さを引き出す重要な要素ですが、余程の機会がない限り自宅で出汁を取ることは薄れつつあります。

日本の食文化が今、注目されてる!?

失われつつある日本の住居と家族関係

富士山を背後に映る旧日本家屋

日本の住居と家族関係は、かつては伝統的な生活様式や文化に深く根ざしたものでした。

特に、

木造の和風住宅や多世代の家族が同居する生活は、日本人の価値観や、人間関係の築き方にも影響を与えていたんです。

しかし生活様式の変化に伴い、こうした伝統的な住居や家族関係はかなり失われつつあります。

ここでは『日本の住居と家族関係』について、具体的な例を挙げながら詳しく解説していきます。

住環境の変化

昭和時代の日本家屋が立ち並ぶ風景

日本の伝統的な和風住宅では、畳の敷かれた部屋や、障子・襖により、『柔らかな区切り』が特徴的なんです。

それは現代のように壁で仕切られたひとつひとつの部屋ではなく、

各部屋は障子や襖で仕切られ、開け閉めができることで、空間』を広くも狭くもできる工夫がされていたのが特徴的なんです。

そのため、

ひとつひとつの部屋がつながっているため、家族の在り方も今とは違うものだったんです。

お互いの部屋を襖や障子を開ければ行き来できるため、密接な関係が家族関係にはあったんです。

しかし近年では、

鉄筋コンクリート造りの集合住宅が主流になり、そういった和風住宅は急速に減少しています。

マンションやアパートでは、

部屋がしっかりと壁で仕切られており、畳や障子を使う機会も少なくなっています。

こういった建築では、空間のつながりや家族同士のコミュニケーションは希薄になり、日本の住宅が持っていた『一体感』が失われつつあるんです。

茶の間の団らん

日本家屋が軒並み並ぶ中、雪が積もっている風景

伝統的な日本の住居では、

茶の間や居間といった共通スペースで家族が集まり、食事や団らんの時間を共有していました。

自然と家族同士が顔を合わせ、日常の出来事や会話を茶の間や居間で、かつては楽しんでいたんです。

また、

家族全員が一つのこたつを囲みながら暖をとるという風景も、日本特有の家族関係を象徴していたんです。

しかし現代では、

生活様式が西洋化し、各自の部屋を持つ家庭が増えたことで、家族が集まる時間も格段に減少しています。

特に、リビングとダイニングキッチンが分かれている間取りが主流になると、各自がそれぞれの自分のスペースで過ごすことが多くなり、家族同士が顔を合わせる機会もうんと減ってしまったんです。

現在の家の構造が、家族間のつながりを希薄にさせる要因の一つにもなっているんです。

核家族化

公園で老人が歩行器を押しながら歩いているモノクロ写真

かつての日本では、祖父母、両親、子供という三世代が同居することが一般的でした。

これは、

家族の絆を深めると同時に、家事や子育ての負担を分担することで、生活を支えるとても便利な家族構成だったんです。

祖父母が孫に昔話を語ったり、

親が子供に伝統行事の意味を教えたりと、

世代間の知識や経験の共有がお互い日常的に行われていたんです。

でも、都市への人口集中化や仕事の都合で、

地方から都市部に移住するケースが増え、三世代同居のような家族形態はもはや衰退しています。

代わりに、

夫婦と子供だけの『核家族』や、一人暮らしの高齢者世帯が増加しており、

世代間の交流が薄れるとともに、家族全体のつながりも今、希薄になっているんです。

また核家族化が進むことで、

子育てや介護の負担が一部の家庭に集中しやすくなり、家庭内での負担が大きくなっていることも今や問題なんです。

縁側や庭の減少

日本の家屋の軒先に簾が立ててある写真

縁側は、日本の伝統的な住居において

内と外をつなぐ空間であり、家族が集まってくつろいだり、隣近所の人と談笑したりする恰好の場所だったんです。

それこそ、

縁側でのんびりと過ごしながら、

家族と一緒に庭の木々を眺め、季節の移ろいや景色を楽しむことも、日本人の生活の一部だったんです。

でも昨今の集合住宅や都市部の住宅では、縁側のような空間が設けられることは少なくなりました。

特に

子供たちが庭で遊んだり、家族が自然を楽しむといった経験ががぜん減り、人との交流や自然との交流もなくなりつつあるんです。

家を中心としたコミュニティ

日差しが入るこむ日本の家の床の間の風雨系

伝統的な日本の住居は、地域社会とのつながりも重視されていました。

近隣住民が行き来しやすいような造りであり、地域の行事や祭りの場として『家』が使われることもあったんです。

家族や地域社会が一体となり、互いに支え合いながら暮らしていたため、

家は単なる生活の場だけでなく、地域の人々とのつながりを築く場でもあったんです。

現代では、

個別の生活が重視され、都市部では隣人との交流なんてほとんどないことも珍しくありません。

地域社会とのつながりが薄れることで、孤立感を抱える人も増え、互いに支え合う関係性が日本では失われてきているんです。

家族行事の減少

夕日を背後に鉄橋を走る電車

日本には、正月やお盆、節句など家族が一堂に会して行う行事が数多くありました。

こうした行事は、

家族の絆を深めるだけでなく、祖先や家の歴史を次世代に伝える大切なきっかけでもあったんです。

しかし現代では、

仕事や生活の忙しさから、家族での行事も少なくなり、こうした習慣も次第に失われつつあります。

特に都会での生活では、

盆や正月に故郷へ帰省する機会も減少し、親戚や家族との距離も広がっているため、家族行事が薄れているんです。

一年を通して、

家族全員が実家に集まることも少なくなり、親戚や親族との交流も疎遠になりつつあるんです。

高齢者と同居する意識

公園のベンチで談笑する老人女性2人の後ろ姿

日本では昔、年老いた親を家で介護し、最期を看取ることが一般的でした。

それが普通だし、当たり前だったんです。

しかも、

家族が一緒に過ごすことで、親への感謝や祖先を敬う気持ちも育むことができたんです。

でも時代の流れとともに、

そういった風習は廃れ、核家族化や介護施設の選択肢が増えたことで、

高齢者と同居しないケースが増え、家庭内で高齢者の存在が薄れつつあるんです。

お年寄りが一人で暮らしたり、それこそ介護施設で面倒を全部診てもらう、そんなケースが年々増えてきているんです。

失われつつある日本のおもてなし

つくばいの水が滴る風景写真

日本の『おもてなし』は、

単にサービスや接客の技術だけでなく、

相手の気持ちや快適さを深く考え、『心遣いや配慮をもって相手を迎える』精神そのものを指しています。

こういった日本人特有の『和』の精神や、相手への思いやりを根底とした文化が日本には根強くあるんです。

しかし現代においては、

このおもてなしの精神も徐々に形を変え、失われつつあると感じられる場面も多くなっています。

ここでは、その具体例と原因について詳しく解説していきます。

観光業のおもてなし

2回建てバスが高速道路を走る風景

日本の観光業は、

長年にわたり『おもてなし』が一つの大きな魅力として、海外からも評価されてきました。

旅館やホテルでの接客、温泉地でのおもてなし、観光案内所での親切な対応など、

日本の観光地でのサービスは、細やかな心遣いと温かい対応で知られていたんです。

実は今、日本は訪日の観光ブームで賑わっていることを皆さんもご存知なはずです。

でも昨今では、

多様な言語の訪日観光客が増え、急激に増えた外国人観光客への対応が諸問題にもなっています。

ゴミを撒き散らす、立ち入り禁止を勝手に侵入する、動物を蹴る、

そんなマナーに欠ける観光客の諸問題に頭を悩ます機会も多くなっているんです。

細かな気配りや、心遣いが得意でマナーの良い日本人としては、これは大きな悩みです。

観光業が盛んになることは大いに歓迎ですが、マナー違反や、日本の土地を汚したり、大切なルールに従えない外国の観光客に対して、どこまで質の高いサービスを提供できるのかも、今日本が問われている問題なんです。

日本人はどちらかというと、

『それは、違う!』

と相手を指摘したり、批判することは苦手なことが多いんです。

特に相手が外国人なら、なおさらです。

なぜなら、多くの日本人は気が引けてしまうからです。

多くの日本人は

動画や映像で、そんな理不尽な行動の外国人観光客に対して批判的なコメントは書けますが、

実際に眼の前にしたときに、それを指摘できるかどうかは、大きな疑問が残ります。

大切な日本の伝統や文化を貶されたとき、そこに立ち向かう日本人の意志も今、問われているんです。

接客がマニュアル化され過ぎ

コンビニの陳列風景

いつからか、コンビニエンスストアやファストフードなど、

チェーン店の普及により、接客のスピードや効率が重視されるようになりました。

それは、全てがマニュアル化され、

顧客への細やかな対応や、相手に合わせた心遣いよりも、

められたフレーズを用い、迅速な対応が求められるようになってきたんです。

例えば、

『いらっしゃいませ』、

『ありがとうございました』といった言葉も、

決められた台本に従って発せられることが多く

こに心からの『おもてなし』の気持ちを感じることなんて、もはや無くなりつつあるんです。

なぜなら今や、

お釣りのお金を相手の手に触りたくないからという理由で投げるように返したり、

『ありがとうございました』といいながら、後ろを向いていることさえあるからです。

まさに、マニュアル化の影響です。

ただ、ロボットのように

『ありがとうございました』といっても、そこには優しさはないのです。

それは、ただの言葉の羅列です。

皆さんも、

そういう対応がマニュアル過ぎて、どこにも親切さや優しさなんて感じられない接客にあったことがあるかもしれません。

今や、なかなか心のこもった接客や対応なんて、出会うことが難しいのかもしれません。

それは

マニュアル化された対応ばかりで心の触れ合いなんて、そこにはないからです。

案外、

地方の小さな商店ほどそんなマニュアル化とは程遠く、心がホッコリしたり、温かみを感じるのは、

そこに本当の『おもてなし』の気遣いがあるからなのかもしれません。

職人のおもてなし

茹で上がったうどんを揚げる割烹姿の職人

日本の『おもてなし』は、

料理、工芸、旅館業など、職人の手による細やかな技術、サービスによって支えられています。

でもこういった分野では

後継者不足が深刻で、今や職人の技術や接客のノウハウが十分に受け継がれることが少なくなりつつあるんです。

たとえば、

割烹や料亭、高級寿司店、老舗旅館では、

相手が何を望んでいるかを先読みして、『商品をオススメ』する対応が行われているんです。

皆さんも、よく考えてみてください。

カウンターに座ってお寿司を食べるとき、

職人は必ず『苦手なもの』を聞き、そこからお任せの振る舞いを行います。

旅館では、

お布団を敷くとき、足元が寒くならないように湯たんぽを入れて、快適に布団を温めてくれています。

それって、何をしているかというと、

お客様のわがままを聞いているのではなくて、お客様に合わせた対応をその都度行っているということなんです。

それこそ、当たり前ですが、『おもてなし』なんです。

サービスは金儲けと思っている人も多いですが、それは違います。

サービスは、

出来てあたり前のことで、

おもてなしは、それ以上の期待を越えるもてなしのことです。

職人と言われるような人の『おもてなし』は年々減りつつあります。

しかも、心の感動するサービスなんて、もはや無くなりつつあります。

むしろ、日本にはそういった『おもてなし』は当たり前にあったことを知ることのほうが、何よりも大切なのかもしれません。

今では、サービスはネットのボタン一つで注文できる時代です。

それはただのサービスでしかありません。

でもそれだけでは、そこを越える『おもてなし』は、体感できません。

なぜなら、

『おもてなし』は、いつも期待を越えるサービスにあるからです。

無人化と『人』の温かみ

夕日を背後にニット帽を被った女性の後ろ姿

無人のレジや自動化された案内システムなど、

デジタル化や自動化が進むことで、間違いなくサービスのスピードや効率は向上しました。

でも、

それに伴い人の温かみ』を感じられる場面が間違いなく減少しているのです。

特に、飲食、ホテルやレストランなどでは、

無人チェックインやタブレットでの注文が導入されており、接客担当者も減少しています。

無人化によって簡略化と便利さを手に入れましたが、

むしろ

接客の醍醐味である『おもてなし』の気遣いや心遣いを感じることは激変してしまったわけです。

『おもてなし』って、結局何なの?

と言われれば、

それは、簡単に言えば『人情』です。

ボタンひとつで注文できることは、

提供する側のメリットでありますが、サービスを受ける側のメリットとは必ずとも一致するわけではありません。

『おもてなし』とは、相手のことを気遣い、配慮することです。

無人化の機械的な対応は、

日本独自の『人と人とのつながり』を大切にする文化とは違うところに向かっているのかもしれません。

日本の『おもてなし』は、ココが違う!

~あなたは日本の何を知っていますか?まだまだ知らない日本の奥深さを知らなきゃ損!~

なぜ、大切な日本文化が失われつつあるのか?

商店街で浴衣姿で歩き女性2人

かつて、日本には素晴らしき情緒豊かな生活様式が至るところで見られました。

家族の団らん、自然を愛でる感覚、他人を思いやる所作、そんな周囲をいつも大切にする感性があったのです。

でも、そういった文化はなぜか日本から失われつつあるのです。

それは、なぜでしょうか?

風情より、効率が求められた悲しき事実

瓦屋根のアップ写真

戦後から急速に進んだ近代化・西洋化の流れは、

私たちの生活を豊かにした一方で、

伝統的な行事や習慣を『古いもの』として片隅に追いやってしまいました。

これは、間違いない事実です。

いわゆる本格的な欧米化により、

日本の生活様式は、日本式から欧米式の効率主義へと変化していったわけです。

例えば、

昔は一家の中心に『床の間』があり、掛け軸や生け花を通して四季を感じることができたんです。

自宅にいながら、四季を感じる季節感があったわけです。

もともと、日本人はそういう空間を大切にしていたんです。

何も無いようで、満たされているような空間を。

茶室とか、床の間とか物がない空間にこそ、なにやら精神的な味わいを感じていたわけです。

それが、『風流』だったり、『風情』だったわけです。

でもいつ頃からか、

そういった部屋にも家具がひしめき合い、掛け軸をかける場所さえ邪魔な存在となり、今や和室が無い住宅もあるくらいです。

まさに風情なんかより、収納なわけです。

何も置けない部屋より、収納できる効率良い部屋がイイ理由です。

 忙しさを理由に、手間を省いた

渋谷交差点で行き交う人達

現代人は時間に追われています。

一年の行事をひとつひとつ丁寧に行う余裕は、共働き世代にとってはかなりの困難なことです。

例えば、『おせち料理を買うのはいいけど、作る時間はない』

もはや、そういう時代なのです。

むしろ、手作りでおせち料理を作れる世代は、どれくらいいるのでしょうか?

もっと怖いのは、

おせち料理の意味さえ知らない人が、多いことです。

それは、祖父や祖母と暮らす機会もなく、なぜおせち料理を食べるのか?

ひとつひとつの食材に意味があることさえ、知らなくなってしまったわけです。

言葉の変化がもたらしたもの

夕日が浮かぶ湖面に佇む鳥居

日本語そのものも変化しています。

それこそ、

戦後から平成ぐらいまでは、先輩や上司、年長者は敬うべき対象だったわけです。

そこには

礼儀があり、相手を敬う敬語が日本にはあったんです。

でも、今はどうでしょうか?

『別に年上だから何が偉いの?』

『敬語とか、意味わからない!』

となってしまったんです。

時代が言葉を作る、

もしくは

言葉が時代を作るが正解かもしれませんが、日本の言葉は脆弱になりつつあることは、間違いありません。

本来語彙が豊かな日本語が、たった一言で完結してしまうのだから。

すべて『やばい!』で

昔は、親が子に言葉遣いを注意することが、多々ありました。

『そんな汚い言葉使うんじゃないよ!』とか、

『人様に失礼だろ!』と。

そんな肝っ玉母ちゃんも頑固親父も、いない時代です。

いつからか、相手に文句ばかり言うモンスターな親に変化してしまったようなんです。

協調する精神から、日本文化は攻撃文化へと移行しつつあるのです。

これは残念なことです。

日本文化が消えることで失われるもの

着物姿の女性の後ろ姿

文化は受け継ぐ人がいないと、消えてしまいます。

でも、そもそも日本文化とは何かを知らなければ伝えることさえ出来ません。

そう、多くの日本人は伝えないのではなく、もはや知らないのです。

だって、自宅近くに森や木々、土、川なんてないんです。

だから、

『自然と調和する感性』なんて知らないんです。

自宅の隣に誰が住んでるのかも、顔も知らない時代です。

それこそ、

『他人を大切にする心』なんて分からないのです。

自宅に仏壇や近所に先祖のお墓があるわけではないので、『先祖供養や感謝』なんて毎日しないわけです。

でも、昔の日本人は大切に大切に、それをやっていたわけです。

自分以外に目配り、気配りし、それが粋な日本人だったんです。

もはや日本国籍だとか、

日本の領土に住んでいるから、自分はそれだけで日本人なのでしょうか?

私たちは、日本人の本質を忘れてしまったのかもしれません。

私たちは、そんなちっぽけな人間ではないはずです。

大切な日本人の精神を今、取り戻すときが来たのです。

日本文化を受け継ぐ私たちが今できる『小さなアクション』

床の間から外を眺める人の姿

日本文化が喩え、消えつつあったとしても大切なことがひとつだけあります。

それは、『精神』を失わないことです。

どれだけ時代が変わろうとも、人が入れ替わろうとも、

『国』を作る私たちが

日本の美意識や精神、おもてなしの心を忘れなければ、それはやがて新しい文化を形成していくのです。

日本の行事の意味を、教える、伝える人になる

川沿いの夜桜風景

日本の年中行事って、

昔の人たちが

自然のリズムや季節の変化を感じ取り、心と体を整えながら暮らしてきた、いわば生活の知恵です。

だから、それをただ形だけを真似しても、それは表層的なものに過ぎません。

きちんと意味や由来を伝えることで、

それぞれの行事にある

『自然との共生』とか、『家族や地域との絆』、『感謝の心』、

そういった深い精神性を理解させないと、次世代や子どもたちの心に根づかせることが出来ません。

現代は、

日本のしきたり、作法、

そんなものに関心を持つより、みんな違うことに目を奪われつつある時代です。

だから、

まずひとりひとりが『日本文化』を敬い、

そして知り、それを教え、伝えていくことが大切なんです。

今や、SNSで情報は瞬時に拡散できます。

日本文化をどう教え、どう伝えるか?

それによって、

日本文化はまた新しい美意識のもった文化を作り出していくはずです。

皆さんも、その担い手なのですから。

今こそ日本文化に触れてみよう!おすすめの体験スポット

線香花火のアップ写真

『日本の伝統文化』が失われつつある、

と言われる一方で、

実際に『体験』することで理解が深まる日本文化もたくさんあります。

最近では、気軽に予約できる和菓子作りや陶芸体験が注目を集めているんです。

今回は特に都内にスポットを当てて、紹介していきます。

① 浅草で味わう『日本文化』! 人力車体験が今、人気

浅草人力車にお客2人が乗っている風景

『物より思い出を残したい!』

そんなときこそ、

今オススメなのが、浅草での人力車体験なんです。

なぜオススメというか、というと

Check

楽天ふるさと納税の返礼品としても利用できるのがポイント。

実質2,000円の自己負担で楽しめるのも魅力。

昔ながらの景観が残る浅草の街を、『和装の俥夫さんが案内してくれる』貴重な体験。

浅草の老舗人力車でコース内容によって価格は前後するものの、

何よりもふるさと納税が使えることがポイントです。

実質、

2000円の負担で『日本の和』を体験できちゃうんです。

きっと、普段の観光とはひと味違い、日本人の心や情緒、もてなしの文化を体感できる貴重な時間になるはずです。

人力車を引く人
スカイツリー前の横断歩道を人力車で歩く風景
人力車を下ろす風景

② 日本文化を体験しよう!たい焼き作りで学ぶ『和』の心

たいやき屋の広告写真

日本文化を守るためには、『見る』だけでなく実際に体験することが大切です。

そんな中、

ご紹介したいのが、なんと『たい焼き体験』があるんです。

皆さんは、そんな経験ありますか?

浅草の老舗『たい焼き工房 求楽』では、

本格的なたい焼き作り体験コースが今人気を集めているんです。

気になる内容ですが、

もちろん

職人の指導を受けながら、自分だけのたい焼きを焼き上げる60分間コース

まさに『和のおけいこ』。

しかも、

ふるさと納税の返礼品として利用できるので、自己負担を抑えて楽しめるのも魅力です。

たい焼きを焼く機会に粉を流す風景
たい焼きにあんこを入れている風景
出来上がっあたい焼き5個が並んでいる風景
浅草たい焼き工房 たい焼き体験はコチラ!

③ 手仕事の魅力を実感! ろくろで日本文化を体験する

ろくろを回す写真

陶芸は、長い歴史を持つ日本文化のひとつです。

でも、なかなか陶芸の機会なんて、皆さんは今までなかったのではないでしょうか?

ココでぜひ紹介したいのが、東京・国立市で体験できる『ろくろ体験』です。

この体験の魅力は、まずペアで参加できるのこと。

だから、カップルや友人同士、親子での参加にもぴったりなんです。

しかも、ふるさと納税の返礼品として利用できるため、

実質2,000円で本格陶芸が楽しめるのも嬉しいポイント。

土に触れ、日常の喧騒を忘れることができるのも今、人気の理由なんです。

両手でろくろを回す風景
出来上がった茶碗たち

 

東京 国立 話題のろくろ体験はコチラ!

👉東京国立市 今、話題のろくろペア体験

今回の総合まとめ

今回は失われつつある日本文化について、紹介してきました。

時代とともに、今まであった文化が変化し、衰退するのは仕方がないのかもしれません。

でも、

文化が受け継がれるか否かは、次世代にその価値を伝える努力にかかっています。

失われつつある日本の伝統文化を再評価し、日常生活に取り入れることができれば、現代の日本人にとっても新たな豊かさがもたらされるはずです。

今回も最後までお読み頂いて、ありがとうございました。

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