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皆さんは、ご存知でしょうか?
1945年、
第二次世界大戦が終わった直後、
日本に突如として現れたアメリカの『GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)』。
この組織が日本にもたらしたのは、単に『終戦』だけではなかったんです。
実は、
当時GHQは、『日本人を骨抜きにする計画』を着々と進めていたんです。
『え?骨抜きってどういう意味?』と思われるかもしれませんが、
それは
日本から『誇り』『歴史観』『自立心』『家族観』など、日本人としての“芯”を奪う政策を次々打ち出したのです。
今回は、
GHQがもたらした『日本人骨抜き計画』について紹介していきます。
もはや、
その魔の手は、今や私たちの身の回りに蔓延っているんです。
私たち日本人に脈々と流れる遺伝子を、もう一度思い出してください。
皆さんの目覚めが、もう必要なのです。
目次
GHQの『日本人骨抜き計画』の真相!
1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏を表明します。
そしてその直後、
日本列島を支配したのが、連合国軍総司令部、通称『GHQ』です。
今や、
いろんな媒体を通じ、戦後の日本に焦点を当てた文献や情報が多く開示されつつありますが、
その中でも、
戦後のGHQ政策は、我々日本人にとって非常に大きな問題を現代にも残していきました。
なぜなら、
GHQ政策の残像が、私たち令和を生きる日本人の感性に大きな影響を与えているからです。
今を生きる日本人が、
『自分に自信がなく、いつも何かに不安になり、答えを自分で考えられない』のには理由があります。
それは、
『GHQの日本人骨抜き政策』が今も、日本人に影響を与えているからです。
では、
GHQの『日本人骨抜き政策』とは、
一体どんなもので、私たち日本人にどんな影響を与えているのでしょうか?
① 『戦犯教育』 あなたの祖父は悪者ですか?
GHQは第二次世界大戦後、
日本を占領直後から、日本のメディア、学校教育、新聞、雑誌を完全にコントロールしたことで有名です。
では、
なぜそんなことをしたのか、分かりますか?
目的は明確です。
それは、
GHQは、まず『日本人に自分たちの過去を恥じさせる』こと。
これを徹底させ、日本人の誇りや自尊心を徹底的に挫かせようとしたのです。
例えば、
映画館では、連日『日本軍の蛮行』を描いたプロパガンダ映画を上映する。
学校では、『日本は侵略国家だった』と日本の生徒に暗記させる。
歴史教科書はGHQの指示で“戦争責任”一色に変えられる。
こうして、
日本人に『私たちの祖先は悪いことをした人だった』という罪悪感が、子供たちの心に植え付けられていったのです。
戦争戦犯、戦争責任、
そういった責任はすべて日本にあり、
そんな行為を起こした日本の先人たちを否定することで、
日本人の意識の中に『罪を犯した』罪悪感を徹底的に埋め込もうとしたんです。
皆さんが、
第二次世界大戦になぜ日本が参加したのか、答えられる人が何人いるでしょうか?
ただ学校で、
日本が真珠湾に攻撃し、第二次世界大戦に参加したぐらいしか教わっていないんです。
それが、多くを物語っています。
② 日本人の誇りを奪う『戦犯教育』
戦争の終結とともに
GHQが真っ先に手をつけたのは、『武装解除』ではなく、日本人の『精神の改造』でした。
そして、
その中心にあったのが、
日本人の『戦犯教育』という名の『自己否定プログラム』なんです。
GHQが行ったのは単なる教育改革ではありません。
『日本人の誇りを奪う』ための、非常に精密で意図的な洗脳作戦だったのです。
本ページは広告を含んでいます 突然ですが、 皆さんは『鬱(うつ)』という字が書けますか? もしかしたら 『習っていないし、画数が多すぎで難しい』 なんて経験があるかもしれませんが 実は、 第二次大戦後以後 この『鬱(うつ …
GHQによる『戦犯教育』とは、一体何だったのか?
GHQは日本人を根本から変えるため、メディア操作を行いました。
それが、
『報道規制』と『禁書』です。
① 報道規制
まずGHQは、
新聞・ラジオ・出版に対して『報道のガイドライン』を発令したのです。
これは実質、
『言論弾圧令』とも言われています。
① 連合国批判(特にアメリカ批判)は全面禁止
② 原爆の被害報道は禁止(広島・長崎の実態は報道できず)
③ 大東亜戦争の肯定的表現は禁止
④ 天皇の神格性をにおわす表現も禁止
つまり、
日本人は『真実を知ること』ができない状態にされたのです。
② 歴史教科書を全面『焚書』
GHQは、
戦前の歴史教科書を約7,000冊、
全国で350万部以上も焼却させ、次のような『戦犯史観』に基づく教材へ差し替えました。
① 「満州事変は侵略だった」
② 「日本はアジアの平和を乱した加害者だった」
③ 「真珠湾攻撃は卑劣な奇襲だった」
④ 「軍部は国民を洗脳して戦争に駆り立てた」
戦前、
日本の教師たちは『修身』や『日本史』を通して、天皇陛下、家族愛、郷土愛、先祖への尊敬を教えていました。
でも、
GHQによって価値観が一変したのです。
戦前とは違い、
戦後の教師の役割は、『子供たちに自国を恥じさせる教育』に成り下がってしまったのです。
信じられますか?
しかも、
教員自身が戦後すぐに再教育を受け、
『今まで教えていたことは間違いだった』と公言させられることもあったそうです。
そして生徒たちは、
自分の祖父母が『侵略者』だったかのような内容を覚える教育に変わっていったのです。
③ 洗脳は、映画とラジオからも
戦後の映画館では、毎週のように『戦争犯罪』を描いたアメリカ製プロパガンダ映画が上映されていました。
そのどれをとっても、
繰り返し
『日本軍は残虐だった』『民間人を虐殺した』『天皇崇拝は狂気だ』と刷り込む内容ばかりだったようです。
しかも、
映画館に行列を作る日本人たち自身が、その内容を涙ながらに観ていたという記録さえも残っているようです。
GHQは、
単に日本軍を解体しただけでは終わらなかったのです。
日本人の『精神の柱』とも言える歴史観と家族の信頼関係まで壊したのです。
そして、
それを最も効率的に成し遂げた方法がGHQによる『戦犯教育』だったのです。
GHQによる日本の『修身』・『武士道』の抹殺
GHQは、
日本人が持っていた『美徳の価値観』を根こそぎ潰そうとしました。
とくに狙われたのが、日本ならではの『修身』や『武士道』といった精神教育です。
なぜなら、
戦前の日本では、
『命よりも義を重んじる』『恥を知れ』『家族を大切に』といった価値観が当たり前だったからです。
でも、
GHQはこれを『軍国主義の温床』と断定するのです。
そして、
『修身』の教科書は全廃とされ、
公的教育や公式文書の中から『忠義』『孝行』『武士道精神』といった言葉は、排除されていったのです。
① 修身・武士道の抹殺
戦争が終わった直後、日本はただの焼け野原です。
都市も産業も崩壊し、国民は衣食住にも困るほどの貧困状態でした。
でも、
そんな中でさえ、
GHQが最も恐れていたのは、『精神的に立ち上がる日本人の姿』でした。
なぜなら、
GHQは知っていたのです。
日本人の底力とは、“経済”ではなく“精神”にこそ宿っていることを…。
だからこそ、
GHQにとっては、
日本人の根幹である『修身』や『武士道精神』を打ち砕く必要があったのです。
② 『修身』って何だったの?
『修身』とは、
日本の戦前の学校で教えられていた道徳教育科目のことです。
内容は、
いわゆる『人としての基本』ですが、
その『基本』が、今の価値観とはまったく違っていたんです。
例えば、
・親孝行…親に感謝し、恩を返すこと。
・忠義…国や社会に尽くすこと。
・克己心…欲望や感情に打ち勝つ強さ。
・自己犠牲…自分よりも他者や大義を優先。
・礼儀作法…目上の人を敬い、慎ましく生きる。
そんなことが書かれていたんです。
小学生が使っていた修身の教科書には、こんな一節もあります。
父母に孝行をつくし、師をうやまい、国に尽くす者は、真の人間である。
至極、全うの言葉ですが、
しかしこれが、かつての日本人の『精神』だったのです。
③ 『武士道』はなぜ恐れられたのか?
さらにGHQが忌み嫌ったのが、日本の武士道精神です。
武士道とは、
『義を見てせざるは勇なきなり』という精神のこと。
つまり、
『正しいことのためには命を惜しまない』。
この思想こそが、
日本の日露戦争や太平洋戦争での驚異的な戦闘力の源とされていたんです。
だから、
『日本人の驚異的な精神力の源は、この武士道精神にこそある』、とGHQは睨んだわけです。
それこそ、
『一命を捧げても、守るべきものがある』
『名誉を守るために死ぬのは恥ではない』
『自らを律し、己に厳しく、弱者に優しくあれ』
そんな精神は
GHQにとって、これは『危険思想』に映ったわけです。
なぜなら、
自己犠牲の精神を持った国民は、占領に屈しないからです。
だからGHQは、
修身と武士道を『軍国主義の温床』と定義し、徹底的に排除したのです。
④ 神道と日本文化への攻撃
GHQの日本人の精神解体政策は、教育だけにとどまりません。
それまで、
日本人と縁の深かった神社は『迷信』とされ、
GHQは、神道を“国家神道”とみなして弾圧対象にするのです。
① 神道指令(1945年12月)により、国家と神道の関係を完全に分離
② 伊勢神宮や靖国神社を含む全国の神社は、国からの支援を打ち切られる
③ 学校行事や地域の祭りからも、神道的要素は排除
これにより、
神社に参拝し
『祖先を敬う』という文化そのものが、否定され崩壊されてしまったのです。
考えてみてください。
『親に感謝しなさい』と言えば、それは“封建的”。
『祖国のために尽くしたい』と言えば、それは“軍国主義者”。
『命よりも義を守るべきだ』と言えば、“危険思想”。
こうして、
日本人の中から『人としての美徳』が、次々と剥ぎ取られていったのです。
今や、
靖国神社に参拝するだけで、
ああだこうだ言われる時代です。
GHQの残した傷跡は、まだまだ深く日本人に刻み込まれているのです。
GHQによる、家庭分断政策
GHQは戦後すぐに『男女平等』『女性の解放』を掲げ、日本の家族制度に手を入れます。
もちろん、
表向きは素晴らしい政策です。
でもその裏では、
それまでの日本の『父権』『家長制度』を崩すことで、“日本の家庭の中の秩序”が崩壊していったのです。
民法改正で『戸主制度』が廃止となり、
それまでの絶対的な家長の権威は消滅し、 家族の統率力が低下していったとも言われています。
その結果、
日本にあったそれまでの家族の形は変化し、
『家族は1つの単位』ではなく、『個人主義』の強い『自由に生きる』時代へと変化していったのです。
① 戦後の日本人に突如もたらされた新しい価値観
今でこそ当たり前ですが
戦後の日本では、
絶対的に父親である家長が権力を持ち、女性は働くことなんてあり得ないことでした。
立場で言えば、
男性が上であり、女性は下のように見られた時代です。
だからこそ、
戦後にGHQにより打ち出された『男女平等』や『個人主義』というスローガンは衝撃だったんです。
もちろん、
表向きは理想的な進歩です。
男女平等ですから。
『女性にも参政権を』とか、『女性にも男性と同じ教育を』なんて、煽るわけです。
でも、
実はGHQの真の狙いは、
個人の自由を楯に、日本の最小単位である『家族』を内側から崩壊させること、だったと言われています。
逆に言えば
それだけ日本の家族の結束力は強かった証明であり、GHQにとっては脅威であったわけです。
これは、
簡単な質問ですが、
現代を生きる私たち日本人が、どれだけ父親の言う事を聞くでしょうか?
昭和の時代はともかく、平成、令和と続き
もはや家庭内での父親の権力や威厳、統率力なんてものは、今の日本では崩壊状態ではないでしょうか?
そう、
まさにGHQの狙い通りになっているわけです。
② 『家制度』の解体
あまり知られていませんが、
まずGHQが行ったのは、日本の民法の大改正なんです。
そう、
その目玉が、『戸主制度(家制度)』の廃止なんです。
① 父親(戸主)は家族の統率者であり、家の代表
② 長男が家を継ぎ、親の面倒を見るのが当然
③ 結婚は家同士の結びつきとされ、血筋と義理が重視された
④ 家は一つの「単位」、家名と責任を共有する意識があった
GHQはこの家制度を、
『封建的』『差別的』と断定し、次のように民法を改正したのです。
① 戸主制度廃止…家族の序列・統率権が失われる
② 嫡出子・非嫡出子の差別撤廃…血統より個が重視される
③ 家督相続の廃止…家を継ぐという文化が消滅
④ 男女の相続権の平等化…長男が後を継ぐ文化が形骸化
総じて、
それまで絶対的な存在の父の言葉は“絶対”から“無力”へ変わり、
家族の価値観は、
それまでの伝統から個人の自由へ変化したのです。
③ 女性の解放
GHQの民主化政策によって、1946年、日本女性に史上初の参政権が与えられます。
いよいよ日本女性は『家庭の中の存在』から、『社会に出る存在』へと変化したのです。
当時の新聞や雑誌でも、女性進出が盛んに流されたようです。
それこそ、
『女も外で働くべき』
『母親だけが子育てをする時代は終わった』
『家事・育児に縛られるのは“後進国”の姿』
『男に頼る女より、自立した女のほうがカッコいい』
こうした風潮に乗る形で、
PTAや婦人団体がGHQの支援のもと、全国的に展開していったのです。
④ 家族の姿が急変する
戦後、GHQが介入したことで大きく変わったことがあります。
それが家庭の役割です。
それは、
強固というより、むしろ反対に
『家庭の役割』が、あいまいになっていった時期なのです。
父:一家の柱、稼ぎ手、教育者としての権威。
母:家庭の守り手、子どもの精神的支柱。
子:親を敬い、家の伝統を引き継ぐ存在。
それが
⬇️
父:モノを言えない存在に。
母:外で働き、家庭内の時間を失う。
子:好きに生きていいと言われるも、精神的な拠り所を失う。
結果として、
日本の家庭からは役割と秩序が消えてしまったのです。
⑤ 家族の変化を示すデータ
父は黙り、母は働き、子は迷い、家族はバラバラに。
これは、
単なる比喩ではありません。
事実、戦後数十年の統計を見ると次のような傾向が浮かび上がるのです。
離婚率:1950年代から急増(現在では約3組に1組が離婚)
非婚率:男性の生涯未婚率23%、女性14%(2020年調査)
子どもの非行・不登校率:高度経済成長期以降に急上昇
今では“親ガチャ”とか“毒親”という言葉が社会問題にもなる時代です。
つまり、
“家族”は日本人にとって、もはや安定した場所ではなくなったのです。
本来、
家庭は民主主義よりも“信頼”と“尊重”で成り立っていた心の拠り所です。
でも、
GHQは、法律と制度を使って日本人の“家庭の結束力”を打ち砕いていったのです。
GHQによる『3S政策』 Sports,Screen,Sex政策
GHQの政策で最も有名な『骨抜き政策』が、3S政策です。
これは、
GHQが日本人を政治から遠ざけるために考えた洗脳戦略で、ご存じの方も多いかもしれません。
「3S」とは、
・Sports(スポーツ)
・Screen(スクリーン:映画・テレビ)
・Sex(性の開放)
の略称で、
とにかく『快楽・娯楽・現実逃避』に日本人を浸らせ、夢中にさせることが目的の政策とも言われています。
なぜなら、
そうすることで
日本人の無関心を起こさせ、日本人の底力を無力化することが目的だからです。
① メディア支配と“3S政策”
GHQが日本人に仕掛けた最大の洗脳政策、それが『3S政策』です。
GHQは、
日本を統治する上で、ひとつの明確な方針を立てました。
それは、
『この民族は、考えさせず、快楽に浸らせておけば、二度と牙を剥かない』と。
そのために、
投入されたのがこの3つの“麻酔薬”とも表されるSports,Screen,Sex政策だったんです。
現在を生きる日本人が、
もうすでにどっぷり浸かっているものばかりです。
みんな大好きなスポーツ。
娯楽の代名詞、映画。
性欲と快楽の園、セックス産業。
どれも、
もはや日本人が大好物なものばかりです。
② 3S政策の目的と効果
3S政策には、
きちんとした明確な目的があるとされています。
・S=Sports(スポーツ)… プロ野球、相撲、ボクシングなどを国民的娯楽に育て、 興奮と熱狂で政治や社会問題を忘れさせる。
・S=Screen(スクリーン)… 映画、テレビ、ラジオで大量の娯楽コンテンツを流し、思考停止と現実逃避を促進させる。
・S=Sex(性の開放)… 性風俗・雑誌・メディアで性を日常化させ、 家族と倫理観の崩壊、モラルの希薄化させる。
戦前、
日本のスポーツは総じて『鍛錬』や『精神修養』を伴う修行の要素を呈していたんです。
武術を学ぶでも、剣を学ぶでも技術だけでなく精神性を磨く側面が多かったんです。
でも、
GHQの3S政策は、
それを“娯楽”へと変貌させていったのです。
だから、
その反動は大きかったのです。
例えば、
① プロ野球の全国中継 → 選挙報道よりも視聴率が上昇
② 大相撲のテレビ放映 → 国民的イベント化、社会問題そっちのけ
③ プロレス・ボクシングのゴールデンタイム → 勝敗と筋肉に夢中
まさに、
『今日の政治なんかより、昨日のホームランが話題になる日本』
GHQはそれを、意図的に作ったのです。
③ スクリーンで文化を“上書き”
ひょっとすると、
GHQの思惑通り
映画やテレビ、ラジオを通して、日本人の“脳の中身”は塗り替えられてきたのかもしれません。
今や、映画といえばハリウッド映画ですが
その代名詞といえば
いつも同じパターンなことをご存知でしょうか?
① キスシーン、銃撃戦、ラブロマンス
② ヒーローはすべてアメリカ人、悪者は他国
③ “自由”“個人”“勝者の論理”が美化される
でも、
実は日本独自の映画って戦前ではハリウッド映画のような内容とは、全く違ったものだったんです。
戦前:家族・武士道・義理人情
戦後:ラブコメ、ナンパ劇、風俗街の青春映画へ
明らかに
戦後の娯楽はアメリカの影響を受け、日本の娯楽文化は変わっていったんです。
さらに、
新聞・雑誌・漫画も影響を受け、
シリアスな思想誌 などは、 廃刊 もしくは規制の対象になってしまったのです。
それにかわって、
娯楽漫画、ギャグ、アイドル写真誌 、
そういったまさに3S政策に等しいものが大量発行されてゆくのです。
④ セックスで家庭と道徳を破壊
日本で当時最も大きなタブーだった性の問題も、GHQの占領下で急激に開放されていきます。
例えば、
雑誌に女性の裸が登場(1947年にはすでに「ヘアヌード未満」が流通)したり、
キャバレー、ダンスホールが乱立したのも戦後の象徴です。
売春の半合法化と性産業の巨大化も、大きな特徴でビックビジネスへと成長していったんです。
それまで日本には馴染がなかったテレビ・映画での『恋愛自由化』の描写も象徴的であり、
性は自由で開放的な感覚にだんだんと日本人は、浸っていくのです。
⑤ GHQの公式文書には、こう記してある
GHQの公式記録や戦略文書にはっきりと、こう記されています。
(目的は、日本の好戦的なナショナリズムを除去すること。そのために、リベラリズムと消費主義を徹底的に促進する)
つまり、
3S政策により、
考える暇もないほど楽しくさせれば、日本人はもう二度と立ち上がれない。
それが『3S政策』の真意だったのです。
GHQにより、自衛できない国にされた日本
GHQの極めつけは、日本の『牙』を抜いたことです。
それは、
日本の軍隊は全廃させられ(=自衛権すら剥奪)、
憲法第9条を押し付けられ、警察力も弱体化したことです。
これにより、
日本はもはや『誰かに守ってもらうしかない国』に成り下がってしまったのです。
戦後の日本人は、
『平和主義』という理想の影で、
自分たちを守る力を持たないまま、80年以上も他国に依存し続けてきたのが真実なのです。
① 『自衛』すら奪われた国家
GHQ(連合国軍総司令部)が最後に手をつけたのは、日本の国家が本来持っていた武力でした。
すなわち、
自分を守る力=軍事力・治安力・国家防衛の意思を、根こそぎ抜き去ったのです。
これは単なる軍備縮小ではありません。
それは、
「永久に戦えない国」へと日本人を“去勢”するプロジェクトだったのです。
② 軍隊の全廃
戦前の日本には、「大日本帝国陸軍」「大日本帝国海軍」という2つの主力軍が存在していました。
でも、
GHQは、戦争が終わるやいなや即座にこれを解体・消滅させます。
主な内容な以下です。
① 戦犯指定 → 軍人の人格を徹底的に否定
② 軍服の廃止 → 軍人の“誇り”を剥奪
③ 兵器の接収・破壊 → 戦う手段すら消滅
④ 防衛産業の壊滅 → 軍事技術の継承断絶
そのため、
わずか数ヶ月で、当時世界有数の軍事国家と評された日本軍は事実上壊滅するのです。
③ 憲法第9条
実は、
軍の解体だけでは終わりません。
GHQは1947年、日本国憲法第9条を強引に押し付けます。
その内容は、あまりにも日本への不利なものでした。
戦争放棄
戦力の不保持
交戦権の否認
これはつまり、
敵から『攻撃されても反撃するな』『戦争する気持ちすら持つな』という命令のようなものです。
そして、
自衛の権利さえ、法的にグレーゾーンにされたのです。
しかも驚くべきことに、この憲法草案をわずか9日で書き上げたのはアメリカ人です。
日本人は一切、主導権を持たされませんでした。
🇺🇸 “We wrote the Japanese Constitution in a week.” — 米GHQ草案チームメンバーの証言
④ 警察力も弱体化
日本の国家機能を骨抜きにするために、GHQは警察力にまで手を入れます。
主な内容は
① 国家警察 → 地方分権化(GHQが管理しやすく)
② 特高警察の廃止 → 国内スパイ対策ゼロに
③ 共産党の合法化 → 国内に“革命分子”が流入
④ “警察は市民の味方”思想の強制 → 取り締まりの手足を縛る
その結果、
日本は国防どころか、『内部の秩序維持』すら外圧に弱い国へと作り替えられたのです。
今回のまとめ ~GHQの“骨抜き”は終わっていない~
GHQは1952年に日本を去りました。
占領は終わったはずでした。
でも、
彼らが日本人の精神に植えつけたものは、いまもこの国の空気に、文化に、教育に、しみ込んでいるんです。
今の日本の若者に、
「あなたは日本人であることを誇りに思いますか?」と聞いたとしても
その答えは、
かつての日本人とはまるで違うものになるはずです。
「うーん、別に…」とか
「まあ、平和な国だし」とか
「誇りって何?」なんて。
それもそのはずです。
自国の文化や歴史を知らされず、知ろうとすると“思想的に危険”とされる空気の中で育ったからです。
何かがおかしいと気づいている日本人は、もういます。
そして気づいた人には、責任があります。
それは、行動することです。
我々の育った日本という国を、もう一度見つめ直すときがきているのです。
今回も最後までお読み頂いて、ありがとうございました。
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