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戦国時代、
動乱の世を生き抜き、その統率力で臣下を従えた名将がいます。
それが
『独眼竜政宗』こと、伊達政宗です。
伊達政宗は、
戦国武将でありながら『義』を重んじた人物としてとても有名です。
彼の『義』は
形式や理想論に囚われたものではなく、
現実的で柔軟性のあるものであったとされています。
例えば、
彼の有名な名言、
『義に過ぎれば固くなる』という言葉は、
自分の信念を守りつつも、
状況に応じて妥協や譲歩をすることの重要性を示しています。
政宗は、
家臣や民衆を守るために徳川家康に従い、時には自らの誇りを抑える選択もしました。
こういった姿勢は、
義を実践するためには強い心と広い視野が必要であることを物語っているんです。
今回の記事では
伊達政宗の統率力に焦点を当て、
『名言から学ぶべきこと』を紹介していきます。
それは
単に哲学や道徳だけではなく、
現代社会の危機突破を考えるとき、きっと何かの役に立つはずです。
ぜひ、
参考にしてみてください。
伊達政宗とは一体どんな人物なのか?
伊達政宗(1567-1636)は、
戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した
奥州仙台藩の初代藩主で、
『独眼竜』の異名を持つ戦国武将です。
幼少期に病で右目を失いながらも、
冷静な判断力と大胆な行動で、
伊達家を東北最大の大名へと成長させた『名将』と評される人物です。
特に、
戦乱の世を生き抜く戦略家でありながら、
文化や経済にも関心を寄せ、
仙台城の築城や街づくりを進めていったんです。
スペインとの交流や支倉常長を派遣した慶長遣欧使節団を通じ、
海外とも関わりを持つなど、広い視野と未来志向を持つ人物として有名です。
でも、
実は
厳しさと人間味を兼ね備えたその生涯には、
多くの人々に感動を与える『人情味』があったと言われているんです。
伊達政宗の感動の逸話 ~『独眼竜物語』~
戦国時代から江戸初期にかけて活躍した伊達政宗は、
冷徹で計算高い戦略家として名を馳せる一方、
情深く、
周囲の人々を思いやる人間味あふれる一面も数多く持ち合わせていました。
その生涯には、
時に涙を誘い、時に心を打つ感動的な逸話が散りばめられているんです。
① 『母・義姫』との確執を超えた愛
伊達政宗は幼少期に疱瘡を患い、片目となります。
それが
『独眼竜』の所以です。
でも、
それゆえに政宗は小さいときから
コンプレックスを持ち、引っ込み思案な性格だったと言われています。
政宗の母・義姫は、
当初政宗を溺愛していましたが、
政宗のその引っ込み思案な性格を懸念し、弟・小次郎を後継に推そうとします。
そして、
政宗の暗殺を計画したとされています。
しかし、
政宗はこれを察知し、深い葛藤の末に小次郎を討つ決断を下します。
当時は
血で血を洗う時代であり、
跡継ぎを巡り、兄弟や家族でも殺し合う時代です。
この事件を境に政宗は母と決別しますが、
義姫が年老いて仙台に戻った際には手厚く迎え入れ、最期まで面倒を見たと言われています。
戦乱の世では
たとえ親族でも絶縁や敵討ちの時代です。
一度、決別した肉親とまた親交が深まるのは
戦国時代としてはかなり異例だったんです。
だから、
血縁の深さや複雑さを超え、
最終的に母を許し愛する姿は、政宗の器の大きさを物語っているんです。
② 家臣を守るため、涙の説得
関ヶ原の戦い後、
徳川政権に従う道を選んだ政宗。
しかし家臣の中には、
『戦国武将として徳川と戦い名を轟かせるべきだ』と進言する者もいたと言われています。
しかし、
政宗は家臣たちを集め、涙ながらにこう説いたのです。
『今ここで戦えば、我ら伊達家は滅びる!!未来の子孫のために生き延びねばならぬ』
家臣たちは、
主君のこの言葉に胸を打たれ、政宗の指示に従ったとされています。
なぜなら、
一時の名誉を追うよりも、
家臣や子孫を守る道を選んだ
政宗のリーダーシップと覚悟に、家臣たちは政宗の人間味と真の強さを感じたからです。
後に
この選択があっていたかのように、
伊達家はその後の幕藩体制下で繁栄を続けていくのです。
③ 未来のための植林活動
戦乱の世が終わった後、
政宗は自然を活用した政策に着手します。
それは
『植林活動』です。
政宗は
荒れ果てた土地を緑豊かにするため、仙台藩内で積極的に木を植えることを奨励したのです。
その背景には
戦国時代から江戸時代初期にかけては、
日本では城や城下町の建設に伴い、木材の需要が急増していたからです。
そのため、
各地で森林の乱伐が進み、
資源の枯渇や土砂災害の増加が問題となっていたんです。
政宗が治めた仙台藩も例外ではなく、
特に開発や城の建設で森林資源の減少が懸念されていました。
そこで政宗は
杉や松などの成長が早く、建築材として有用な樹種を選んで植林したのです。
また
藩内で特定の森林を保護林として指定し、無計画な伐採を禁じたのです。
これにより、
災害防止や水源涵養のための森林が維持でき、
仙台は後に
『杜の都』と呼ばれる自然豊かな都市へと成長していったんです。
その際に、
こんなエピソードがあるそうです。
政宗は家臣にこう語ったと伝えられています。
『今植える木は我らのためではなく、百年後、二百年後の民のためである』と。
この珠玉の言葉は
伊達政宗がいかに
先を見越し、多くの民のために行動できる主君であったことを証明しています。
なぜなら、
その恩恵は
紛れもない私達が受けているのですから。
④ 貧しい領民への配慮『見捨てるな』
ある日、
政宗の行列が領内を通る際、貧しい農民が困窮しているのを目にしたそうです。
それを見た政宗は足を止め、家臣にこう命じました。
『この者たちを放置するな。彼らが生き延びられる策を考えよ』と。
伊達政宗が生きた戦国時代は、
農民にとって非常に厳しい時代だったんです。
戦乱や自然災害によって多くの土地が荒廃し、農民たちは生活に困窮していました。
こうした状況を見た政宗は、
ただの武力による支配ではなく、
領民の生活を立て直し、領地全体を繁栄させることが自らの責務であると考えたのです。
そこで政宗はまず、
荒れ地や未開発の土地を耕地化し、農地を拡大させたのです。
農民にその土地を貸し与え、収穫の一部を年貢として納めさせることで負担を軽減させたのです。
また、
用水路や堤防の建設を命じ、水不足に悩む農民を支援しました。
その結果
収穫量が安定し、農民の生活が向上していったのです。
その後、
領内の経済基盤を強化するための政策が打たれ、農民たちが自立して生活できるようになったんです。
⑤ 『晩年の家臣との宴』 苦楽を共にした仲間たちと
晩年の政宗は、
戦いに明け暮れた日々を振り返り、家臣たちと平和の時を過ごすことを楽しみにしていたそうです。
ある宴の席で、
政宗は自ら詩を詠み、家臣たちに語りかけたそうです。
『苦しい時も楽しい時も共にしてきたお前たちと、こうして穏やかな時を過ごせることが何よりの喜びだ』
この言葉には
戦乱を生き抜いた仲間たちへ
感謝と敬意を忘れない政宗の姿、人間的な温かさが溢れています。
伊達政宗は、
戦国武将としての冷徹な面ばかりが注目されがちですが、
実は、人間味あふれる感動的な逸話に満ちた人物でもあるんです。
彼の行動や考え方は、
現代を生きる私たちにも、家族や仲間、そして未来を思いやる大切さを教えてくれているんです。
伊達政宗の名言『五常訓』とは?
『五常訓』とは、
儒教の教え『仁、義、礼、智、信』をもとに
伊達政宗が遺訓として戒めた戒律のことです。
ここでは
伊達政宗の名言として有名な『五常訓』に焦点をあて、紹介していきます。
① 『仁に過ぎれば弱くなる』
『仁に過ぎれば弱くなる』とは、
現代でも通用する名言です。
それは
優しさや思いやりも過剰になれば、かえって弱さにつながるという教えを表しています。
皆さんも
自分の家族には甘く、ときには甘やかし過ぎてしまうことがありませんか?
大切な家族や恋人や親友に対しては
つい優しくしすぎて、相手を甘やかし過ぎてしまい、
言いたいことも言えなくなってしまう。
それが
『仁に過ぎれば弱くなる』のことです。
もちろんビジネスでも、
そうです。
部下を甘やかしすぎると、相手の成長を妨げる可能性が大いにあるからです。
歴史的に見て
世界の名将と呼ばれる人物が失墜するパターンは
自分のお気に入りの部下だけを可愛がりすぎてしまい、反乱が起きてしまうケースが多いことです。
名将や将軍は
寵愛する人物を側近として置き、他の人物には冷遇の扱いを行うことが見受けられます。
その格差に
暴動や反乱が起きるんです。
現在でも、
同じようなケースはよくあります。
仕事で言うなら
特にリーダーは、公平に部下を評価するべきなのに
自分の扱いやすい人物や YESマンだけをそばに置いて組織はボロボロ状態になってしまうんです。
もはや
意思の疎通なんてできない環境。
だから
必要なときには厳しさも持つべきなんです。
バランスの取れた判断力こそ、政宗の名言の真髄なんです。
それが
『仁に過ぎれば弱くなる』です。
② 『義に過ぎれば固くなる』
『義に過ぎれば固くなる』とは、
正義や倫理に固執しすぎると柔軟さを失い、失敗につながることを示唆しています。
人間はとかく
自分の意見は正しく、他人の意見の落ち度や欠点を主張したくなるのが、性です。
自分の意見が
どれだけ正しい正論であろうとも
相手に対して『あなたは間違っている!』と主張することは
『相手との確執を生み出すこと』を伊達政宗は説いているのです。
物事の物差しをすべてを
『正しさ』で片付けようとすると対立が深まります。
相手のミスを責め続けるよりも、
解決策を一緒に考える方がはるかに大切だし、重要なんです。
人との間には
共感と妥協、調和が必要だということを何百年前から教えてくれているんです。
つまり、
時代は変わっても
人の心理は、そう変わっていないんです。
人の心を扱うには
『どうすればいいのか?』を政宗は心得ていたのです。
③ 『礼に過ぎれば諂いとなる』
『礼に過ぎれば諂い(へつらい)となる』という言葉は、
礼儀や敬意が過度に表現されると、
かえって相手に対して不自然な態度や媚びた印象を与えることになるという警告のことです。
礼儀は、
社会や人間関係を円滑にするための重要な手段であり、相手を敬う気持ちを示す方法でもあります。
でも、
礼儀にはやはり度というものがあり、
過剰に表現してしまうと逆に不自然さが生まれてしまうんです。
たとえば、
感謝の気持ちを示すことが礼儀だとしても、
過剰にその感謝を強調しすぎると、
むしろ
その気持ちが本物ではなく、ただの言葉や作法に過ぎないと感じられることがあるんです。
なんか
『この人のありがとうって嘘くさい!』なんてときは、そうかもしれません。
礼儀や儀礼を守ることも重要ですが、
過剰しすぎると
かえって
相手に不快感を与えたり、むしろ信頼を失ったりする可能性があるんです。
④ 『智に過ぎれば嘘をつく』
『智に過ぎれば嘘を付く』という言葉は、
知恵や頭の良さが過剰であると、
真実を覆い隠したり、相手を操ったりするために嘘を使うことがある、という警告のことです。
戦略や計略を駆使して目標を達成しようとするあまり、
手段を選ばなくなり、正直ではなく嘘をつく、ということを表現しているんです。
例えば
戦国武将たち、
伊達政宗や織田信長などは戦略家として、相手を欺いたり、情報を操作したりすることも必要でした。
彼らの頭脳戦では、
真実を隠し、戦局を有利に進めることが最重要だったんです。
だから
『智に過ぎれば嘘を付く』という言葉は、
思い通りの結果を得るために、場合によっては嘘をつくことがあるという警句なんです。
これは、
知恵や計略を駆使するあまり、
倫理や道義を軽んじてしまう危険性を警告しています。
実際、
非常に優れた戦略家や政治家などが、
時にその知恵を使って嘘をついたり、真実を隠したりすることがあるということも表しているんです。
まさに
現代にも通じる名言です。
⑤ 『信に過ぎれば損をする』
『信に過ぎれば損をする』とは、
簡単に言えば
信じすぎることは、裏切りや損失のリスクを高めることを表しています。
なぜなら、
信じるということは人間関係や社会の中で大切ですが、
それが度を超えると
相手に利用されたり、裏切られたり、損したりすることがあるからです。
現代的に言えば
詐欺だとかやSNS上のフェイクニュースを鵜呑みにするようなものです。
戦国時代は策略の時代であり、
相手をどこまで信用するかが大きな課題でした。
そして
今や情報過多の現在では
どれが本物かを見極める判断力が必要なんです。
『信を過ぎれば損をする』は
現代でも通じる名言なんです。
今回の総合まとめ
名将『伊達政宗』が生き抜いた戦国時代は、現在とは大きく異なることがたくさんあります。
それは
技術や文明は大きく発達し、便利に変化しましたが
それを扱う人間の心や感情は、時代は変わってもさほど変わっていないのが現状なんです。
いつの時代も
人間の行動はまったく同じようなものです。
だからこそ、
名将と言われる人物は、
人の心を扱うことに長けていました。
かの伊達政宗もそうです。
現在に通ずるその真髄は
激動の私達が生き抜く、良い手本となるはずです。
今回も最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。
世界へ羽ばたく日本文化が今、注目されています。日本にしかない文化が花開いている理由とは、何なのか?和の文化とはホントは何なのか?について紹介していきます。