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私たちが毎日使っている『日本語の漢字』。
皆さんは、
その多くが、実は戦後のGHQによって『作り替えられた』ものだということをご存知でしょうか?
例えば、『鬱(うつ)』という漢字。
『習っていない!』、
『難しすぎて書けない!』と思う方も多いはずです。
でも、それって偶然なんかじゃないんです。
第二次大戦後、
GHQは『鬱』や『薔薇』のような画数の多い漢字を公的な場から徹底的に排除したのです。
『えっ、どうして!?』と思いますよね?
実はその背後には、
戦後の占領政策と、日本人がほとんど知らない『GHQの狙い』があったのです。
複雑な漢字は削除され、旧字体は廃止され、新聞や教科書では使える文字の数まで厳しく制限されたのです。
その結果、
『鬱』『薔薇』『躊躇』といった漢字は、長い間『存在してはいけない文字』とされてしまったのです。
なぜ、日本語はここまで変えられてしまったのか?
その背景には、私たちが学校で教わらなかった『戦後の真実』が潜んでいたのです。
今回の記事では、かつて日本に存在したはずの漢字たちと、GHQによる言語改革の裏側を紹介します。
ぜひ、日本の本当の歴史を知り、日本文化を改めて見つめ直してください。
今、その真実を直視するときが来ているのです。
✅ 戦後、なぜ日本語が変えられたのか
✅ GHQに消された漢字15選
✅ 消された旧字体の秘密
✅ GHQの本当の狙い
目次
GHQに消された漢字たち——知られざる戦後の文字改革
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1945年、第二次世界大戦に負け日本は終戦を迎えました。
街は焼け野原。
家を失い、生活を失い、
未来すら見えない絶望の中、アメリカを中心とした連合国軍GHQが日本に入ってきたのです。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)がまず目をつけたのは、意外かもしれませんが日本人がつかさどる『言葉』でした。
なぜなら、
当時の日本国内の新聞や公文書には、画数の多い漢字や複雑な言い回しが並び、国民が情報を理解しにくい!
GHQは、そう判断したのです。
例えば、『國(くに)』という漢字。
今では『国』と書きますが、戦前は旧字体が当たり前に使われていたんです。
例えば、戦前はこんな漢字が使われていました。
| 旧字体 | 新字体 |
|---|---|
| 🎌國 | 国 |
| 🎌髮 | 髪 |
| 🎌戰 | 戦 |
| 🎌龜 | 亀 |
GHQはこうした漢字を『難解だし非効率だ』と断じ、日本政府に大胆な使用制限を迫ったのです。
日本語の表現そのものを、理不尽にも切り詰めろ!ーーそう指示したわけです。
でも日本政府は困惑しつつも従わざるを得ませんでした。
だって、日本は敗戦国。
相手は駐留軍と言う名の占領軍です。
それこそ、当時の日本の文豪などは、文字を変えることへの危機感を募らせたといいます。
皆さんも御存知の芥川龍之介や川端康成がまさにそうです。
長年受け継がれてきた日本の文字や漢字の表現が削られていく、そう危惧したわけです。
でも、国民は悔しさを噛みしめながら、ただ見守るしかなかったのです。
そしてその結果、
1946年に日本政府は『当用漢字表』(1,850字)を発表するのです。
『当用漢字表』とは、簡単に言えば公的文書や新聞で使ってよい漢字のことです。
📜当用漢字表(1946年)のルール
❌公式に使える漢字は1,850字のみ
❌登録されなかった複雑な漢字は公的文書や教育で使用禁止
❌それまで日本人に馴染み親しまれた漢字も制限対象
だから、この当用漢字表に登録されなかった旧漢字は、公では使ってはいけなくなった。
それ故に、
それまで自由に使われていた多くの日本の旧漢字は、突如としてココで公文書や新聞から消え去ったのです。
皆さんは、信じられますか?
どんな文字でもそれは大切な日本の言語なわけです。
それが強制的に失われた。
それこそ、私たち日本人が知らない戦後の真実なんです。
では、具体的にどんな漢字がGHQによって消されていったのでしょうか?
ここでは、GHQの影響で公的な場から消えた漢字15個を紹介し、失われた文化を追っていきます。
GHQによる「日本語破壊」の全貌をもっと知りたい方に
GHQに消された漢字 15選
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戦後、日本ではGHQにより一部の漢字が突然、学校や新聞から消されました。
これは、
国民の読み書き能力を上げるために作られた『当用漢字』というルールのせいです。
まさに、
公式に使える漢字は1850字だけと決められ、それ以外の複雑な漢字は教育や日常で使えなくなったのです。
でもその中には、長い歴史の中で日本人に愛されてきた美しい漢字もたくさんあったのです。
ここでは、
今ではほとんど見かけない、そういった『GHQに消された漢字15選』をご紹介します。
『戦後、言葉がどれほど変えられたのか』見えてくるはずです。
① 體(たい・からだ)
『體』は、『体(からだ)』の旧漢字です。
人の骨格や身体の形を象った象形文字に、全体や豊かさを意味する要素を加えた会意文字といわれる漢字です。
昔は、
学校教育や文書、医療書などでも普通に使われ、例えば『體操』や『健康體』などの表現に登場していたんです。
よく骨が丈夫な人は、体も丈夫だと昔から言われますよね?
まさに、
『骨』に『豊か』で、『體(からだ)』だったわけです。
戦後は簡略化で『体』となり、
日常生活ではほとんど見かけませんが、
『昔の人々は文字を通して体の尊さや形を大切に考えていたのだ』と痛感させてくれる文字です。
意味・由来:人の骨格や身体の形を象った象形文字に「豊かさ」を加えた会意文字
使用例:體操、健康體
戦後の変化:簡略化され『体』に
ポイント:文字の形から、身体の尊さを表現していた
② 櫻(さくら)
『櫻』は『木』と『嬰』を組み合わせ、桜の芽吹きや若々しさを象徴する会意文字です。
『嬰』の文字は、本来『あかちゃん、乳児』を意味する言葉なんです。
日本では『桜』は
古くから象徴的な存在ゆえに、
この『櫻』の漢字は古典文学や和歌、浮世絵などでは頻繁に登場し、春の訪れを告げる存在だったんです。
現代では『桜』と書かれますが、
神社や歴史的文書、書道作品では『櫻』が残っており、特別な場面でその美しさを楽しむ風習がまだあるようです。
『櫻花祭』なんてときは、『桜』ではなく『櫻』を好んで使うことも多いようです。
意味・由来:桜の芽吹きや若々しさを象徴する会意文字
使用例:櫻花祭、古典文学や和歌
戦後の変化:『桜』に簡略化
ポイント:特別な場面では今も『櫻』が使用されることがある
③ 靈(れい)
『靈』は、雨の下に『巫』や神の器を組み合わせ、霊的な存在を象徴する漢字です。
現在私たちが使用する『霊』の旧漢字のことです。
戦前『靈』とは、
神社の祭祀文書や仏教経典で使われ、先祖の霊や神を祀る際にとても需要な漢字だったんです。
なぜなら日本人にとっては、
それこそ
『靈魂』とか『靈示』などの表現でも頻繁に使用されるように、『霊』の存在は身近だったからです。
現代では
『霊』と書かれますが、『靈』の文字の神秘さが表現されたとても大切な漢字だったんです。
意味・由来:霊的な存在を象徴する漢字
使用例:靈魂、靈示
戦後の変化:『霊』に簡略化
ポイント:神秘的で重要な漢字だった
④ 龘(とう)
龍の象形を三重に重ねた、見るだけで圧倒される文字です。
まさしく
『龍が天を行き交う』といったイメージで、戦前は古典文学や故事成語によく登場した漢字なんです。
でも、
『龘(とう)』の漢字は、熟語で使うことはなく、単体で使用されることが多かったようです。
それゆえに、
書道作品や文字愛好家、詩ではその存在感を放ちますが、日常生活で使う場面はほぼありません。
もし使うとしたら、
龍をテーマにした詩や、装飾的な作品で『天翔る龍』の迫力を文字自体で表現する場合のようです。
意味・由来:龍の象形を三重に重ねた文字
使用例:故事成語や書道作品
戦後の変化:日常ではほぼ使用されず
ポイント:文字だけで龍の迫力を表現
⑤ 麤(そ)
『麤』の字は、
毛がたくさん生えた様子を象形化した文字で、『粗い』とか、『荒々しい』の意味で使われていた旧漢字です。
『こんな漢字見たことないですよね?』
でも、
現在の漢字に直せば、実は皆さんご存知の『粗(そ)』の漢字なんです。
戦後は
『粗』に置き換えられましたが、古い書物や武芸・工芸の技術書では、『麤』の字を見ることできます。
意味・由来:毛がたくさん生えた様子を象形化した文字
使用例:粗い、荒々しい
戦後の変化:『粗』に簡略化
ポイント:古書や工芸書でまだ見られる
⑥ 爨(さん)
『爨(さん)』の字は、火を囲む器や鍋を組み合わせた文字で、炊事やかまどのことを表しています。
特に、
古典の文書でなどは『爨炊(さんすい』や『爨事(さんじ)』などの形で日常生活の描写に使われていたんです。
『爨炊(さんすい』は、かまどでご飯と炊くこと。
『爨事(さんじ)』とは、炊事や食事の準備をすること。
漢字を見たら、やたら画数も多いですよ?
書くのも、面倒なくらいですよね?
でも、
かまどと炊事は、それぐらい当時は時間と手間がかかっていたわけです。
この漢字の作りは、それを表しているんです。
文字の重みが生活の営みを感じさせてくれる貴重な漢字なのです。
意味・由来:かまどや炊事を象徴する文字
使用例:爨炊(さんすい)、爨事(さんじ)
戦後の変化:日常生活ではほぼ使用されず
ポイント:文字の重みが生活の営みを感じさせる
⑦ 驛(えき)
『驛』は、馬偏に『尺』を組み合わせた文字で、駅や交通、通信を象徴する文字です。
そう、『駅』の旧漢字です。
もともと、
この『驛』の漢字は、
江戸時代の宿場や交通網を記した文書では必ず登場し、
『驛站(えきたん)』や『驛路(えきろ)』という表現も存在していたくらいです。
『驛站(えきたん)』は、駅や宿場など交通の中継所のことです。
『驛路(えきろ)』とは、駅や中継所をつなぐ道路、街道のことです。
戦後は
簡略化され『駅』の文字となり、日常生活では古い看板や地名でしか見かけることが無くなりました。
意味・由来:駅や交通、通信を象徴
使用例:驛站(えきたん)、驛路(えきろ)
戦後の変化:『駅』に簡略化
ポイント:江戸時代の宿場制度を表す重要な漢字
⑧ 鬮(くじ)
今でこそ、
ひらがなやカタカナで
『くじ』とか『クジ』と書きますが、くじ引きのクジの漢字、実はそれがこの『鬮(くじ)』の字なんです。
戦前ではこれを『鬮(くじ)』と表記し、運命や引き当てる意味合いで使われていたんです。
もはや、
ほとんど見かけない漢字ともなってしまったのです。
意味・由来:くじ引き、運命や抽選を表す漢字
使用例:古書やくじ引き関連文書
戦後の変化:ひらがな・カタカナで代用
ポイント:ほとんど見かけないが文化史では重要
⑨ 蠍(さそり)
『蠍』は、『虫』偏と音符を組み合わせ、蠍の形や動きを表現する形声文字といわれる漢字です。
戦前では
天文書や占星術、医学書で重要な漢字として使われていた文字です。
でも
GHQ政策による戦後の当用漢字表から外され、
日常から見られなくなりましたが、現在でも占いや占星術では『蠍座』なんて表記することもあるはずです。
意味・由来:蠍の形や動きを表現
使用例:天文書、占星術、医学書
戦後の変化:日常では見かけなくなる
ポイント:占いや星座表記では今も使用
⑩ 靐(へき)
『靐』は、まさに雷が轟き渡る様子を表す漢字です。
なんて言ったって、『雷』を三つ重ねた漢字ですもん。
空一面に稲妻が走り、天地を揺るがすほどの雷鳴を、まさに視覚的に描き出した漢字なわけです。
例えば戦前では
『靐然(へきぜん)』=雷が轟くさま
といった熟語でよく使われ、自然の迫力や神威を表現する言葉として表現されていたんです。
それこそ、
文章の中に『靐』と一字書くだけで、
単なる『雷』なんかよりも、一瞬にして空気が張りつめる大音響と閃光が伝わるわけです。
戦前の漢字には、その絶妙さが備わっていたんです。
意味・由来:雷が轟く様子を表す
使用例:靐然(へきぜん)=雷が轟くさま
戦後の変化:日常ではほぼ使用されず
ポイント:文章に一字書くだけで自然の迫力を表現
⑪ 齉(なつ)
『齉』という字は、鼻が詰まった音や鼻声を表すために作られた非常に珍しい漢字です。
つまり『鼻声』や『鼻づまり』を表す文字なんです。
特に、
古代中国の辞典や医書には、風邪や慢性的な鼻炎の症状を示す言葉として記録されていたようです。
日本にもこの漢字は輸入され、
漢文や医学書の中に姿を見せましたが、
あまりに使用場面が限られていたため、一般的に広まることはなかったようです。
いずれにしても、難解な漢字故に戦後消えていった漢字のひとつなのです。
意味・由来:鼻が詰まった音や鼻声を表す珍しい漢字
使用例:古代中国辞典や医書で風邪や鼻炎の症状を示す言葉として使用
戦後の変化:使用場面が限られていたため消滅
ポイント:難解で珍しい文字だが、文化史では重要
⑫ 齾(がく)
『齾(がく)』は、歯が欠ける様子を表す珍しい漢字です。
歯の形を模した部首『齒(歯)』に、
欠けることを示す部分が組み合わされており、まさに『歯の損傷』をそのまま文字にした造形になっています。
古代の医学書や辞典では、虫歯や事故で欠けた歯を記録する際に用いられました。
現代では
『歯が欠ける』と普通に書けば済むため、
日常生活で使われることはありませんが、『知る人ぞ知る字』として親しまれているようです。
意味・由来:歯が欠ける様子を表す漢字
使用例:古代医学書や辞典で、虫歯や欠けた歯の記録に使用
戦後の変化:『歯が欠ける』と普通に書けば済むため日常では消滅
ポイント:造形的に歯の損傷を忠実に表現した文字
⑬ 巖(いわお)
この漢字は、『巌』の旧漢字です。
皆さんにとって、日本国歌『君が代』の歌詞に出てくる『巌』で馴染みがあるかもしれません。
『巖』は、『山』と岩石を表す要素を組み合わせた文字で、大きな岩や断崖を意味しています。
自然描写や文学作品で特に多く使われ、現代では文字が『岩』と簡略化されています。
意味・由来:山と岩石を表す要素を組み合わせ、大きな岩や断崖を意味する漢字
使用例:文学作品、自然描写、君が代の歌詞
戦後の変化:『岩』に簡略化
ポイント:自然描写や文学で重厚な表現を可能にしていた
⑭ 螢(ほたる)
『虫』偏と音符『京』を組み合わせた形声文字で、光る昆虫ホタルを表した漢字です。
名が体を表す、典型的な漢字です。
日本文学や詩では戦前はやたら、『螢』が登場しています。
それは
生き物の儚さや、生命の尊さを描写する際に、この文字『螢』は適切だったのかもしれません。
旧字体の『螢』を使うと、
光る様子や幻想的な自然の美しさを文字からも感じ取ることができるはずです。
現代では
『蛍』が主流ですが、古典文学では『螢』の美しさが今も生きているわけです。
意味・由来:虫偏と音符『京』を組み合わせた形声文字、光るホタルを表現
使用例:日本文学や詩で、生き物の儚さや生命の尊さを描写
戦後の変化:『蛍』に簡略化
ポイント:旧字体を使うと、光る様子や幻想的な美しさが文字からも伝わる
⑮ 醫(い)
旧字体の『醫』は、現代では『医』の文字になります。
複雑難解な文字ですが、それこそ戦前は『醫者』と当たり前に表記していたわけです。
『醫』は複数の部首と偏旁が組み合わさった複雑な漢字です。
左側の 酉偏(とりへん) は、
酒や発酵を表す部首で、古代中国では薬の材料や医療行為と関係がありました。
中央には 矢+殳(ほこづくり) が配置され、
矢や道具を示すことで、病気や怪我を治す行為や医療器具の象徴とされています。
でも、
現在では『医』に簡略化され、目にすることもなくなりつつあります。
意味・由来:複雑な部首構成で医療行為や器具、薬を象徴
使用例:『醫者』など医療関連文書で使用
戦後の変化:『医』に簡略化
ポイント:文字の形に医療の意味や象徴性が込められていた
なぜ、GHQは漢字を制限したのか?
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戦後、
日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の支配下に置かれ、多くの社会改革が行われました。
その中でも、特に注目されるのが『漢字の制限』です 。
でも、
GHQが漢字を減らそうとしたのは、実は『単に漢字が難しいから』ではなかったんです。
では、なぜGHQは日本の漢字を減らそうとしたのでしょうか?
そこには、
日本の識字率、民主化、教育改革、さらにはローマ字化計画など、複数の要因が絡み合っていたのです。
ここでは、
GHQが漢字を制限した背景と、その理由について詳しく紹介していきます。
皆さんは、ご存知でしょうか? 1945年、 第二次世界大戦が終わった直後、 日本に突如として現れたアメリカの『GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)』。 この組織が日本にもたらしたのは、単に『 …
① 識字率と民主化のための“言葉の支配”
戦前の日本語って、今の感覚で読むと本当に読みにくかったんです。
新聞も公文書も、難しい漢字と専門用語だらけ。庶民にはチンプンカンプンだったんです。
例えば、こんな感じです。
『帝國議會開會ノ勅語(帝国議会開会の勅語)』
『內務省告示第百二號(内務省告示第102号)』
皆さんは、読めますか?
当時の日本語は文字そのものが大きなハードルだったのです。
✅地方に行けば教育の機会も少なく、字が読めない・書けない人も珍しくなかった
✅当時使われていた漢字は約5,000字。覚えきれる量じゃなかった
その結果、
個人の読み書き能力には大きな格差が生まれ、
農民や労働者は情報の壁にぶつかり、政治や経済のニュースから遠ざけられました。
つまり──戦前の日本語の複雑さは、無意識に『国民を縛る道具』となっていたのです。
『日本に民主主義を根づかせるには、誰もが情報を読めるようにしなければならない』
だからこそ、GHQは漢字を減らし、文章を平易にする改革を打ち出したんです。
それは単なる教育改善だけではなく──
戦時中のプロパガンダ体制を崩し、日本人の思考そのものを変える一手だったんです。
言葉を変えれば、思考も変わる。
GHQの『漢字改革』は、まさに“言葉の支配”をめぐる戦略でもあったのです。
言葉は、思考の器。
だからこそ、
言葉を変えることは、日本人の心の在り方を変えることでもあったのです。
② 情報統制を壊すための“言葉の解放”
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戦時中の日本では、言葉そのものが『武器』でした。
なぜなら、
政府や軍部は、あえて難解な文語体や専門用語を使い、国民を都合よく導いていたからです。
たとえば新聞には、こんな言葉が並んでいたんです。
『聖戦完遂ノ決意ヲ堅持シ、國體護持ノ精神ニ徹ス』
『國民皆兵、總力ヲ以テ帝國ノ光輝アル未来ヲ建設スベシ』
一見すると勇ましい言葉の響きですが、
実際にその意味を正確に理解できた庶民は、どれほどいたでしょうか?
それこそ、
そうした空気こそ、日本国家にとって最高の統治方法だったわけです。
情報を与えているようで、実際には“思考”を封じ込める仕組み。
それこそ、
難解な表現こそが、まさにその“カギ”だったわけです。
でも、GHQはそこを鋭く見抜いていました。
『難解な日本語が残る限り、再び同じ支配構造が生まれる』と。
だから彼らは
漢字を減らし、誰でも読める言葉へと変えていったのです。
それは
単なる文字の簡略化ではなく、言葉の側から始まった日本の民主化だったのです。
皮肉なことに、
言葉が簡略化されることは、新しい思想統制でもあったわけです。
③ 子供たちの教育を変えるため
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皆さん、戦前の教科書って見たことがありますか?
小学生向けなのに、文字がびっしり。
難しい漢字が並び、文章も固く息苦しい。
ホント、今の中学生でも苦戦するような難しい本だったんです。
では、当時の子供たちはどうだったのでしょう?
もちろん、勉強についていけない子もたくさんいました。
文字は難解だし、覚える漢字の画数が多い。
学ぶスピードに差が出るのは当然です。
だから、
読み書きの習得が遅れれば、学校を途中でやめてしまう子も出てきたようなんです。
特に地方では、教育の格差は顕著で、
『学問なんて都会っ子のもの』──そんな現実があったんです。
だからこそ、GHQはこの状況を深刻に見たのです。
『国の未来をつくるのは子どもたち。
ならば、まず彼らが読みやすい日本語を用意しなければならない』
そこで登場したのが、『当用漢字表』(1946年)なんです。
漢字を1850字に絞り込み、教育や出版で優先的に使用
難しい漢字は教科書から姿を消し、ひらがなやカタカナで置き換えられた
この改革は、当時の子どもたちにとっては大きな喜びだったんです。
だって、
読みやすい教科書で学べることで、勉強についていけるようになり、学ぶ自信も育まれる。
そういったやる気やモチベーションにつながったんです。
しかも、その影響はそれだけではありません。
国語のハードルが下がったことで、新聞や本といった情報にも庶民が触れやすくなったんです。
その結果、
漢字制限は『子どもたちのための教育改革』であると同時に、
大人も巻き込み、社会全体を一気に読みやすい日本語に変化させていったんです。
そう、私たちが今使用している漢字表記の原点は、実はココにあったんです。
④ アメリカにとって『扱いやすい日本語』
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GHQが進めた漢字制限や文章の簡略化は、単なる日本人の教育や民主化のためだけではありませんでした。
事実、
占領下の日本では、法律・行政・教育・報道などあらゆる領域でアメリカ人が監督していたのです。
もし、旧字体や難解な漢字だらけの文章が残っていたら、どうなるでしょう?
通訳や翻訳に膨大な手間がかかり、情報を分析・管理するのも一苦労なわけです。
つまり、
アメリカにとって『統治しにくい日本語』だったわけです。
だからこそ、GHQはこう考えるのです。
『日本語はもっと単純に。できれば英語に近づけたい』と。
実際、
当用漢字表の制定とほぼ同時期には、
日本語をローマ字にしてしまおうという運動まであったのです。
日本語を全てアルファベットで書き換える計画で、
もし実現していたら、私たちは今でも『arigatou』とか『nihon』なんて書いていたかもしれないんです。
信じられますか?
最終的にローマ字化は見送られましたが、GHQの狙いは明確でした。
『日本語をできるだけ簡単にして、アメリカが理解・統制しやすい形にする』。
まさに、
日本の漢字制限は
民主化や教育改革という『キレイ事』だけでなく、占領下アメリカにとっての効率的な統治手段でもあったのです。
⑤ 言葉を変えれば、思考も変わる
言葉は、ただの記号なんかではありません。
なぜなら、
私たちの考え方や、ものの見方そのものを形づくる『思考の器』だからです。
戦前の日本語には、
旧字体や難しい漢字が多く含まれていましたが、
それらは単なる“書きにくい文字”ではなく、
長い歴史の中で培われた日本文化や精神を映し出す大切なものでもあったのです。
たとえば、『國』『體』『靈』といった旧字体。
そこには
意味の層が幾重にも重なり、単なる音以上に何やら『精神的な響き』が宿っていたわけです。
ところが、
GHQによって漢字が制限されると、文章はたしかに読みやすくなった。
でも同時に
古い文字に込められていた“意味”とか“余韻”だとか、そういったものが確実に削ぎ落とされてしまったわけです。
簡単な言葉は、単純な思考を生む。
それは便利でありながら、どこかで想像力を狭め、表現の幅をも削る結果につながってしまったのです。
GHQが望んでいたのは、まさにそこだったのです。
『複雑な言語が生み出す複雑な思考』ではなく、
『単純化された言語が生み出す管理しやすい思考』。
言葉を変えれば、思考も変わる。
漢字制限は、教育や情報だけでなく、日本人の心の深層にまで入り込む改革だったのです。
『漢字を減らせ!』GHQの言葉改革に、日本人はどう反応したのか?
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戦後、言葉まで『占領』された日本。
1946年、
焼け跡の煙が、まだ空にゆらめいていた頃。
日本は、まったく新しい国へと作り変えられようとしていました。
そう、GHQは、政治や教育、そして憲法だけでなく、
私たち日本人の『思考の器』である言葉にまで、手を伸ばし始めたのです。
難解な旧字体は、もう“時代遅れ”とされ、
『誰にでも読める日本語』へと姿を変えさせられていったわけです。
でも、
こういった情勢に対し、当時の日本人たちは、何を思い、どう感じたのでしょうか?
ここからは、
その時代を生きた日本人の反応について、いくつか紹介していきます。
賛成派 『簡単な方がいいじゃないか!』
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『新聞の記事って、なんでこんなに難しいんだ!?』
これって、実は戦前の日本人がよく感じていた素朴な疑問のようなんです。
なぜなら、
当時の新聞は、旧字体を使い、難しい表現がとても多かったことが理由にあるからです。
例えば、こんな感じです。
『我國ノ經濟的蹉跌ハ嚴肅ナル財政政策ヲ要ス』
だって、
『うちの子どもは学校で習っていないし、おばあちゃんも読めない!』
『政府が何を言っているのか、まったく分からない』
そんな声が、庶民の間では少なくなかったからです。
そんな状況を見たGHQは、こう考えるわけです。
『誰でも読める日本語にしよう』と。
読みやすく、わかりやすく、誰にでも伝わる言葉へ――
それが、GHQが掲げる理念だったわけです。
だからこそ、この方針に対して
『それはいい考えだ!』と賛成する日本人も少なくなかったのです。
特に戦後は、
戦争で学校に通えなかった子どもたちや、教育から遠ざかっていた人には、
『覚える漢字が減るなら、その方が助かる』というのは、切実な本音でもあったからです。
『読み書きが苦手でも、新聞が読める!』
『子供と同じ言葉で話せる!』
そんな喜びを感じる人も、少なからずいたといいます。
戦後の混乱期だからこそ、
人々は新しい時代への希望を『言葉』という形に重ねていたのかもしれません。
時代は変わる!『新しい日本語を作ろう』
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戦後の日本は、何もかもが変わろうとしていたときでした。
まさに
『軍国主義から民主主義へ』
『封建的な社会から、自由で平等な社会へ』
そんな時代だったのです。
だからこそ、
『言葉も新しくしようじゃないか! 』
という考え方が自然に生まれたことも、決して不思議ではありません。
それこそ、
『旧字体なんて、もう時代遅れだ!』
『もっと、ひらがなやカタカナを増やして誰でも読める文字にしよう』
『いっそ、ローマ字にしてしまえ!』
そんな声が、徐々に大衆の間では広がっていったのです。
事実、
GHQは
『日本語をローマ字化しよう』とする計画まで持っていたことが、後に明らかになっています。
『新しい時代には、新しい言葉が必要だ!』
そう考える若者や知識人たちは、
変化を恐れるのではなく、漢字の制限を『日本改革のチャンス』として捉えていたようです。
反対派 『日本の文化を壊すつもりか!』
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一方で、漢字の制限に反対する人も少なくありませんでした。
『漢字を減らすだって? 冗談じゃない!』
『そんなルールじゃ、小説なんて書けたものじゃない!』
そう反対したのが、当時の日本の作家や詩人たちだったのです。
川端康成や太宰治といった文豪たちは、
『漢字を制限すれば、日本の文学が死んでしまう』
そう危機感を抱いたといわれています。
例えば、
『戦争』という言葉が使えない場合、『たたかい』と書くしかない。
でも、
それでは『戦争』なのか『喧嘩』なのか、意味が曖昧になってしまう。
こうした不便さに、文豪たちは大きな不安を覚えたのです。
さらに、教育現場でも混乱が少なからずあったようです。
『今日からこの漢字はダメなの?』
『先生、この漢字、使っちゃいけないんですか?』
そういった生徒からの質問に対して、戦後の国語の先生たちは大混乱に陥ったようなんです。
だって、GHQの指示で
教科書の内容が一気に変わり、昨日まで教えていた漢字が、突然『禁止』になったのです。
旧字体が廃止され、新しい漢字が登場する。
先生自身も、新ルールを覚え直さなければなりません。
中には、
『日本語は、日本人が決めるべきだ!』
そんな不満を持つ教師も多かったようですが、GHQの方針には逆らえなかったことは間違いありません。
~目覚めよ日本人!洗脳の歴史から抜け出せ~
99%の日本人が知らない真実
そして、折衷案へ 『当用漢字』の誕生
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こうした賛否両論の末、日本政府はついに『妥協案』を打ち出すのです。
それが、
『当用漢字』 の制定なんです。
主な内容は、
旧字体は廃止する(學→学、國→国)
新聞や公文書で使う漢字を1,850字に制限する
完全なローマ字化やひらがな化はしない
こうして、
戦後の日本語は『ちょうどいいバランス』を探りながら、新しい形へと変化していったのです。
最初は戸惑いや反発もあったようですが、人々は次第に『新しい日本語』に慣れていったのです。
それ以降、
新聞や教科書は、
シンプルな表記に統一され、テレビやラジオの普及で、話し言葉の影響が強まっていきます。
やがて『新字体』が当たり前になり、旧字体は歴史の片隅に追いやられたわけです。
こうして、
私たちが今使っている日本語は、戦後の激論の末に生まれた『折衷案』の産物となったのです。
旧字体は、ただの文字ではない
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戦後、日本語は大きく変化しました。
でも、
そこで消え去った旧字体は、単に使わなくなった日本の古い文字なんかではないんです。
日本の歴史を支えてきた『文化の記憶』であり、
私たち日本人の精神や魂を映し出す大切な大切な文字だったわけです。
なぜなら
『旧字体の漢字』には、
文字の形を見れば分かるように
日本人が何を美しいと感じ、どんな秩序を大切にしてきたか、
そうした『見えない価値観』までもが文字の形に凝縮されていたからです。
しかし、
GHQの政策によって、その多くが『効率』や『近代化』の名のもとに姿を消してしまいました。
私たちは
もはや、その文化さえ知らないまま、今の日本語を使っています。
今こそ、
この文化を学び直し、日本文化を見つめ直すときなのかもしれません。
この記事の内容をさらに深く学びたい方におすすめです。
– [『旧字源―旧漢字でわかる漢字のなりたち』(青木逸平 著)]
[旧字源] 旧漢字でわかる漢字のなりたち [ 青木 逸平 ]
– [『異体字の世界 最新版』(小池和夫 著)]
[書籍] 異体字の世界 最新版
– [『漢字のルーツ 古代文字字典 甲骨・金文編』(城南山人 著)]
漢字のルーツ 古代文字字典 甲骨・金文編
今回の総合まとめ
戦後、GHQにより日本語は大きく姿を変えられました。
言葉とは、
本来、思考そのものであり、漢字は日本人の精神や感性を凝縮したアイデンティティの塊でもあったわけです。
でも、当用漢字の制定により、新聞や教科書で使える漢字は制限されました。
難しい漢字は、
ひらがなに置き換えられ、表記は柔軟になり、便利になった一方で、
ひょっとすると
日本人の感性や歴史の一部が、そこで目に見えない形で消え去ってしまったのかもしれません。
1981年には
『常用漢字表(1,945字)』が制定され、一部の難読漢字は復活しています。
そして
2010年の再改訂では、『鬱』『俺』『匁(もんめ)』などの文字も再び息を吹き返しています。
私たちが日常で使う日本語は、
こうした戦後の激動の歴史と文化の選択の上に築かれたものであり、その背後には、失われた文化や感性があったのです。
大切なのは、文字の表面だけを読むことではありません。
一つひとつの漢字が持つ歴史と文化の重みを感じ、戦後に失われたものの価値を知ることです。
言葉は単なる道具ではなく、私たちの思考と感性を映す鏡なのです。
今回も最後までお読みいただいて、誠にありがとうございました。
日本の文化には長い歴史があり、 独自の伝統や風習が大切に受け継がれてきました。 でも、 近年のグローバル化や技術の進歩、 生活スタイルの変化により、 一部の日本の文化や習慣は次第に失われつつ …





